映文計

映画と文房具と時計、好きなものから1文字ずつもらって「映文計」。映画のことを中心に日々綴っていきます。

帰省にかこつけた文房具活動② OKB48総選挙握手会

10月の三連休初日。

10月12日はOKB48総選挙の握手会へ行ってきた。

okb48.net

megalodon.jp

 

この度第14回を数える本イベント。僕は第2回から追いかけている。

このイベントの存在を知った頃、僕は大学生だった。

 

雑誌で展開されていたときから追いかけて来たこのイベント。

アトロクを聴き始めて、OKBのプロデューサーが番組構成作家の古川さんであることを知った。

 

第二回から知っているにもかかわらず、握手会に行くのは初めて。

と言うか、web投票すらしたことがなかった。

どこか「外から眺めるイベント」という認識があったのかも知れない。

アトロクを聴くようになって、次第に「これは俺が参加しても良いものなんだな」と思えるようになり、今回参加することに。

 

初めての握手会は横浜の「フォルテ」という進学塾へ。

<※一般の方もご参加いただけます>という注意書きはあったものの、アラサーのメンズがノコノコ行って良いものかと何度か逡巡。

 

「万人に開かれたイベントで“一般参加OK”と書かれているのだから勇気を出して行ってみよう」と、意を決して行ってみた。

(※投票会場での写真撮影は塾の方に許可をいただいています)

 

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結果、最高だった。

学習塾という会場の性格から、机と椅子が完備された静かな環境で集中して試筆することができた。

 

48本のボールペンが並ぶ様は感動に近い感情を覚えるほどで、一本一本真正面から向き合ってペンの個性を感じる時間は至福の一時。

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友人と会う予定があったのでお尻の時間が決まっている中での試筆であったものの、3時間の猶予があれば試筆タイムは十分でしょう。そう思いつつ確試筆開始。

 

この日、僕が訪問したタイミングは僕以外の来訪者がいなくて、とても集中したまま3時間を過ごすことが出来た。

 

ペンのメーカーと名称、そしてそのペンを実際に書いてみての感想を書き連ねていたのだけど……時間が……全然足りない……

 

結局3時間で試筆することが出来たのは僅か32本のみ。残る16本はペンのメーカーと名称を書き出すだけでタイムアップ。

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折角握手会に行ったのに、投票箱に清き一票を投じる時間もなく、泣く泣く会場をあとにしたのだった。

 

各ペンへの評価は後々このブログでも紹介しようかなと思うけれど、アトロク放課後PODCASTにこの時の様子を記した投稿メールが採用されたので、お暇なときに聞いてみて欲しい。

 

以下のリンクをクリックしてもらえれば、該当箇所から再生される。

open.spotify.com

うまく該当箇所から再生されない場合は、58:48から再生していただくと僕の投稿が読まれる。

 

過去に書いたボールペン関連の記事の一部はこちら。

 

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帰省にかこつけた文房具活動① トラベラーズファクトリーステーション

10月の三連休で帰省した際、一番の目的は後輩の結婚式に出ることだったけれど、合間に文房具活動を。

 

最終日、東京駅で新幹線を待つ間トラベラーズファクトリーステーションへ行った。

 

以前にも増して混雑していて、アジア圏からの来訪者と思しきお客さんも多くてグローバルな人気の高さが伺えた。

 

今回の購入品は以下の通り。

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・パンナムコットンバッグ

・パンナムステッカー

・クラフト紙のリフィル(ターコイズ)

・東京駅の活版ステッカー

・ハガキ

・メッセージカード

・レザーホルダー

 

普段僕のトラベラーズノートはウィークリーのリフィルしか挟んでないんだけど、旅行ノートでも作ってみようかとクラフト紙リフィルを買ってみた。

今月・来月と旅行する予定があるので早速描きはじめた。

旅行ノートにすることは決めたけれど、なにを書こうか、どんなフォーマットにしようかと迷うのも楽しい。

 

TNR購入時についてきたコットンバッグを10年以上使ってきたけど、先日洗濯したら無くなってしまったので代わりの子としてパンナムのコットンバッグをお迎え。悲しいぜ……けど、宜しくな新たな相棒。

 

ステッカー類はリフィルの賑やかしに、ハガキやカードは誰かに送る用に。

 

レザーホルダーは使途を決めていたわけでは無いのだけど、ヌメ革の表情の美しさに引かれて購入。

これが今後どう育っていくか楽しみ。

レシートを挟んだりするのに使おうかな。

普段はパスポートサイズをあまり使わないのでこの子は単独運用としようかなどと考えている。

トラベラーズノート2025 進化前の姿

先日書いたとおりトラベラーズノートの2025年リフィルを買った。

 

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故に、開封と共に使用開始前の儀式をば。

 

毎年リフィルと一緒に発売されるカスタマイズシール。

これをリフィルの表紙に貼っていく作業こそ、その儀式に他ならない。

 

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オフィシャルシールをある程度寄せて貼っておいて、残るスペースに半年間で出会った紙モノを貼っていく。

これが楽しいのよね。

 

一応前半用・後半用それぞれのリフィルに貼るシールの色調は揃えている。暖色系と寒色系とか大雑把な感じに。

どうせこのリフィルを使い始める1月、7月以降はその時々に手に入れた紙モノを好きなように貼ることになる。

だから使い始めに色合いを揃えておいても、結局最後は雑多な感じになってしまうのだけど、スタート地点を記しておくというのも面白いかな。

そう思ってこのブログにアップしておく。

ハイ・ファンタジーのロー・ファンタジー化

「なろう系」という作品カテゴリがあることはよく知られていると思う。

 

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小説投稿サイト「小説家になろう」に寄稿される作品の内、特に「異世界転生モノ」に類型される作品群(の一部)を指すことが多い言葉であると理解している。

 

トールキンの影響下にあると思われるモンスターやクリーチャーの種族が登場するケースが多いこと、戦士や僧侶などといったダンジョンズ&ドラゴンズの影響下にあると思われる役割を持った登場人物がパーティを組むことが多いのも特徴として挙げられるだろう。

 

西洋風の街並みに西洋風の自然描写、西洋風の登場人物名を有する作品が多いことから、その“剣と魔法”の作品舞台を指して「なろう系+ヨーロッパ」の略称「ナーロッパ」と呼ぶこともあるらしいことも知った。

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「なろう系」、「ナーロッパ」という言葉はある種の侮蔑的なニュアンスを含むことが多々あり、誰かにこの言葉を発する際は注意が必要だと思う。

 

僕は「小説家になろう」というサイトを見たことは無いし、同サイトから生まれた作品に明るくないので、上の定義が誤っていたら申し訳ない。

 

僕が何故「ナーロッパ」という言葉が侮蔑的なニュアンスを含むと感じたかと言えば、インターネット上で「なろう系の作者は、作品舞台を一から作ることが出来ない」という文脈で語られているのを見たからだ。

 

「なろう系」作品の多くに、戦士や僧侶などの多様なスキルを持つ冒険者が徒党を組んでパーティを結成することが多いのは上に述べたとおりだが、それら冒険者一行に「クエスト」を提供する「ギルド」に該当する組織が存在するケースも多い。

これらは言うまでもなくビデオゲームにおいてよく見られる要素であり、「なろう系」作品の作者が「ナーロッパ」を舞台にするケースが多いのは、読者の多くが想起しやすい設定を借用することで作品世界を構築するコストを最小化する目的によるものだというのは想像に難くない。

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僕はスタジオジブリ作品の大ファンだが、スタジオジブリ作品、特に宮崎駿監督のファンタジー作品を観ていて彼が何よりも傑出していると感じる点は、「開始10分足らずでその世界の生活様式や科学技術の程度を過不足無く視聴者に伝える能力」だ。

 

しかも、「俺は何処其処の誰某。何の変哲もない普通の高校生だ」というような説明セリフから始まるわけでもない。

視聴者は冒頭のシーンを観ただけで誰がその作品の主人公で、どんな能力を持っていて、時にはどんな行動原理で動く人物なのかと言うことすら把握できてしまう。

(『風の谷のナウシカ』は火の七日間による巨大産業文明の崩壊というあらましが文章で述べられているが、腐海と共に生きるあの時代の人々の生活様式や産業水準は、ユパ様救出シーンと、ユパ様の風の谷到着までのカットの切り替わりで理解できるようにできている)

 

そのような圧倒的スキルを目の当たりにすると、何処かで見たようなヨーロッパ風の土地で、どこかのゲームで見知った組織に属する主人公一行〜という作品に上記のような批判的意見が集まるのも宜なるかなという気もする。

 

近年出会った漫画の中で特にお気に入りのなのが『龍とカメレオン』。

 

この作品の4巻20ページに主人公と主人公の師匠が「ハイ・ファンタジー」と「ロー・ファンタジー」について語り合うシーンがある。

(このシーンでは主人公がどんなアシスタントと一緒にマンガを描いていきたいかということを話し合っているので、主語は「アシスタント」である)

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世界を丸ごと創造する【ハイファンタジー】

必要なのは作者の設定への理解とその余地を埋める想像力


現代を舞台に“漫画的嘘(ファンタジー)”を展開する【ローファンタジー】

必要なのは“リアルな描写”

実際の物の大きさ・比率を正しく描く正確性


「ナーロッパ」は本来ハイ・ファンタジーに属する舞台装置であるはずなのだが、ビデオゲームで誰もが触れたことのある設定を借用することで「世界を丸ごと創造する」というコストを最小化している。


現代という世界が読者にとって説明不要な舞台であることは言うまでもないが、本来であれば「ハイ・ファンタジー」に当たる“剣と魔法”の世界も、今や人口に膾炙しすぎたことで(世界観構築のコストという面で)「ロー・ファンタジー」化しているということができるのではないだろうか。

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結婚式で聴いた大好きな曲

昨日、アルバイト先の後輩の結婚式に出席した。

 

昨年、ちゃん嫁と一緒に結婚式に参列したと以前ブログに書いた。

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その結婚式の帰り道、「私、今後の人生で結婚式に参列するのって最後かも」と彼女は言った。

 

今回参列した同期や先輩も「今後、仕事の上司という立場で式に参列することはあっても、“友人”の立場で参列するのはこれが最後かも知れない」と言っていた。

 

20代の中盤から30歳前後にかけて結婚式に招待され、30歳を迎えた辺りから参列が徐々に減っていくのが一般的では無いだろうか。

僕は30代に突入したのとコロナ禍に突入したタイミングがほとんど重なっていたため、昨年参加した友人の結婚式が4年ぶりくらいだった。

 

コロナ禍をきっかけに式を挙げないことを選択する人も増えたと聞く。

年齢に加え、世の中の考え方の変化も相まって、今後式に参加する機会は少ないんだろうなと思っていたから、招待状をもらったのは嬉しかった。

 

「送り人」と呼ばれるくらい結婚式の参列し、多くの友人を見送ってきた僕だが、やはり結婚式は良いものだ。

 

一次会の最後に新郎新婦と両家のご両親が退場するとき、『花束を君に』が流れた。

 

何を隠そう、僕は宇多田ヒカルが大好き。

イントロが流れ始めた瞬間思わず反応してしまった。

昨日、二次会終わりに新婦と話したとき、「一次会ラストの『花束を君に』は奥様のチョイスですか?最高の選曲でした👍」と伝えておいた。

 

大好きな曲だけど、結婚式で聴いたのは初めてだった。

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もっと気軽に好きと言って良いのかも知れない、と気付いた日

少し前に弟夫婦の家に泊まった。

 

シャーロック・ホームズのコスチュームを着たテディベアが部屋にいたので可愛いねと言ったら、「可愛いですよね!○○さん(弟)も私もホームズ大好きだから買っちゃったんです」と言われた。

 

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「あれ?○○(弟)、実家にいるときはホームズの原作未履修だったよね?実家出てから原作制覇したの?」と言ったら、どうやらそうでは無いらしい。

夫婦二人とも、原作は未履修らしいのだ。

 

自分の尺度だと原作制覇くらいしていないと「ホームズ大好き」は名乗れないなと思ったので、ある種のカルチャーショックを感じた。

 

僕はいわゆるオタク的な属性の人間であるため、この一件が「オタク対一般的価値観の人」という構図で生じた事象かというとそうではない。

 

弟夫婦はオタク的な趣味の結びつきによって結婚に到った二人だからだ。

 

この出来事をちゃん嫁に話したら、ちゃん嫁も僕と同じ考えだったようで、オタク的な属性の人間であっても考え方には差があるのだなと感じたと共に、人はその辺の考えが合う相手と結ばれるのかも知れないと思った。

 

頭でっかちに考えすぎていたけど、もっと僕も気軽に「大好き」と言って良いのかも知れない。

そう気付いた出来事だった。

 

日本各地に根付いた食文化

昨日、新入社員と吉野家の話題になった。

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自分一人ではなかなか入店しないらしいが、ドイツ人の彼氏が吉野家を好きらしい。

 

二人で旅行していて、折角初めての土地に行ったのに彼氏から「吉野家に入ろう」と言われることもあるらしく、「私は折角地方に行ったらその土地特有の食べ物が良いんですけど……」と言っていた。

 

日本人は食に対して変態的なまでのこだわりがある一方、他国はそこまで食にこだわりがないというのは良く聞く話。

 

もしかしたら、他の国の人は「その土地に行ったのだから、その土地特有のものが食べたい」という欲望も日本人ほど持ち合わせていないのではないかと思うし、「都市ごとに独特の食文化が根ざしている」というのも実は極めて日本的な感覚なのかも知れない。

 

同級生の中に親が北海道出身という子がいる。

その子と話す中で、納豆の食べ方が話題にあがったことがある。

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その子の家庭では、納豆ご飯に牛乳と砂糖をかけて食べるらしい。

 

北海道では赤飯に「ささげ」の代わりに甘納豆を入れる地域があると言う話も聞くし、おはぎやお団子のことを考えれば、米と砂糖の相性が悪くないことは分かるけれど……

 

納豆+ご飯+牛乳+砂糖のマリアージュがいかなる和音を奏でるのか想像すら付かない。

 

日本各地に多彩な食文化があるのは知っているし、大学生活や社会人生活で様々な出身地の人から特有の食文化を聞いてきたが、中学生の頃に聞いたこの食べ方はその中でも一番衝撃を受けた。

 

今週のお題「納豆」

 

お題全文:

ネバネバが好き!

今週のお題は「納豆」です。

冷蔵庫にあると安心感がある納豆。定番の納豆ご飯もおいしいですし、トーストやオムレツの具としても活躍する万能感が心強いです。今週は「納豆」をテーマに、みなさんのエントリーを募集します。「めかぶとオクラでネバネバマシマシ」「パックは絶対洗ってから捨てます」「しそ海苔納豆って東京では売ってないんですか?」など、あなたの「納豆」にまつわることを、はてなブログに書いて投稿してください! ご応募をお待ちしております。

 

喫茶店の意外なメニュー

 

先日、足を骨折した。

 

富山県は車社会なので公共交通機関で行くことが出来る整形外科というとあまり選択肢がない。

 

そんな中、評判も良く駅からもほど近い整形外科に通い始めた。

 

通院は面倒で仕方がないけれど、病院近くにある喫茶店に立ち寄るのを楽しみに週一度という頻度の通院にも耐えることが出来た。

 

この喫茶店の良いところは、店内に並べられたカップの中から「目が合った」カップを選んで珈琲を楽しむことが出来る点。

 

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同じものを飲んでいるのに、カップが変わると何だか違った味わいに感じるから不思議だ。

 

おばちゃま二人が回しているお店で、この年齢の方特有の一瞬で客の懐に入るようなコミュニケーションが実に心地良い。

1週間ぶり二回目の来訪であるにも関わらず「結構お怪我良くなったんじゃない?」と声をかけられたり、小まめにお冷やを替えてくれる細やかなサービスが気持ち良い。

服屋で声をかけられるのは嫌いなんだけど、こういった形で店員と触れ合うのは好きなのは何なんだろう。

 

4回目か5回目の来訪時、何となくいつも座っている席に荷物が置いてあって「ごめんね、いつもの席埋まっちゃってるの」と言われた。

 

見ると、惣菜用のプラ容器に白ベースに黄色のアクセントの添えられた食品が詰められている。

 

別の席に着きながら「栗ご飯ですか?」と尋ねると、「そうなのよ。でもゴメンね。もう事前予約分だけで売り切れちゃってて」と言われた。

 

(下さいとも言っていないのに随分強気の売り込みだな)とちょっと笑いつつ、モーニングを頼んでコーヒーとトーストを楽しんでから本を読んでいた。

 

すると、おばちゃまから声をかけられた。

「キャンセルが入ったから栗ご飯持って帰って」

貰うわけにはいかないからしっかりお金を払う旨を伝えて、余っていた二つを購入した。

 

そのやり取りの直後、おじさんが店を訪ねてきた。

「頼んでいた栗ご飯取りに来たんだけど」とおじさん。

「連絡貰ってました?もう売り切れちゃったのよ」とおばちゃま。

「あれ?LINEしたんだけど」

「あらゴメンなさいね。朝から忙しくてLINE見てなかったわ」

 

僕は望まずして栗ご飯が手元に転がり込んできたので、「僕の分お譲りしましょうか?」と言いかけたけど言わなかった。

お店のおばちゃんが傷つくかも知れないと思ったからだ。

 

「売れ行きが良いからもう一度炊こうと思って。夕方また来られる?」

「ああ!取りに来るよ。というか、また後で食事しに来るよ」

そんなやりとりと共におじさんは帰って行った。

 

毎週聴いている『バナナマンのバナナムーンGOLD』で、毎年秋に設楽さんが栗ご飯について話題にする。

そんなわけで、僕にとって栗ご飯は秋の風物詩。

なかなか自分では作らないので、思わず得られた栗ご飯を食べる機会は嬉しい。

 

帰宅して夫婦で食べた栗ご飯は、美味しかった。

 

今週のお題「秋の味覚」

 

お題全文:

食欲がわいてくる季節!

今週のお題は「秋の味覚」です。

さすがに涼しくなって、スーパーの食料品売り場のラインナップもずいぶん変わってきました。秋はおいしいものがたくさんあって、考えるだけでお腹が空いてきますね。今週は「秋の味覚」をテーマに、みなさんのエントリーを募集します。「おいしい栗ご飯の炊き方がわかった!」「秋刀魚は刺し身もフライもおいしい」「ナスが豊作で食べまくってます」など、あなたの「秋の味覚」にまつわることを、はてなブログに書いて投稿してください! ご応募をお待ちしております。

 

前回:

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「手帳」は秋の季語

秋の風物詩と言えば何が思い浮かぶだろうか。

秋刀魚、栗、梨、コスモス、紅葉……

 

文具者にとって、それは手帳かも知れない。

 

多くの学生や社会人が所有しているにも関わらず、その「旬」を認識していないものといえば手帳では無いだろうか。

 

手帳に興味の無い人からすれば些か早すぎると感じるかも知れないが、実は9月から10月は手帳のトップシーズン。

今、loftやハンズや書店に行けば既に立派な売り場が出来上がっているのを見ることが出来るだろう。

 

去る9月12日はトラベラーズノートの2025年度ダイアリーリフィルの発売日。

数量限定でレザータグが付属するということで発売日に即購入した。

 

昨年も同様のキャンペーンが実施されているのを知り、ゆったり構えて発売から10日後くらいにオンラインで注文しようしたら「キャンペーン終了」と告知されていて大きなショックを受けたため、今年は発売日に購入すると決めていたのだ。

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ブルーのタグにシルバーの箔押し。すこぶる可愛い……

 

ブラウンのレギュラーサイズ(TNRと略すらしいことを最近知った)はゴムバンドを外して使っているのでつける場所が無い。

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同じ青い革のパスポートサイズの方に着けようかな。

 

ただ、パスポートサイズは営業先でノートを忘れてしまったときに使う緊急避難的な存在だから登場頻度が高くないんだよな……

せっかく素敵なタグだからもっと目に触れる回数の多い所に使いたい。どうしたものか。

 

最近、トラベラーズノート愛好者のブログをよく見ているんだけど、皆ノートを丸々太らせて使っていて毎日どうやって持ち歩いているのかと驚いてしまう。

僕のTNRはゴムバンドはおろか、このノートのアイコンとも言える錫のチョンマゲも外して使っている。

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ボンバーマンのチョンマゲっぽいよねこれ。正確にはボンバーマンというか、初期ボンバーマンビーダマンのチョンマゲ。

 

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挟んでいるリフィルは1冊だけ、オプションもクラフトファイルのみ。

 

オタクかつコレクター気質なのであらゆる趣味の領域においてアイテムは増えていくのが常なんだけど、トラベラーズノートに限ってはミニマルな運用に納まっているのが我ながら面白い。

 

会社のスケジュールはジブン手帳で管理して、トラベラーズノート(TNR)はライフログ的な用途に絞っている。

限定された利用法だからこそ、ウィークリーが一冊あればリフィルは必要十分だし、これに万年筆が一本あれば事足りてしまう。

 

暫くはこのままの運用で良いかなぁ。

今更だけど、2024年の手帳の話をしよう

今日、お客様との打ち合わせの終わりに「あの、その手帳、どこのですか?すごく使いやすそうで気になっちゃいました」と言われた。

ちょうど手帳用のエントリをアップしようと下書きに保存しておいたので、嬉しかったからアップしちゃう。

 

どれだけ世間のデジタル化が進んでも、「手帳はやっぱり必要だ」という人は多いのではないだろうか。

 

コロナ禍を経て自分の担務が外回りガンガン行こうぜから部内勤務中心に変わったこともあり、Outlookのスケジューラをフル活用した手帳無し生活にしてみようと考えたのが2022年後半。

2023年当初は手帳無しで当初やってみたけれど、再び外回り中心の業務に戻ったこともあり、「やっぱり手帳必要じゃん」となったのであった。

が、2023年も残り数か月というタイミングで手帳を新たに買い求めるのは面白くない。

 

そんな訳で測量野帳にマス目を描いて手帳を自作してみた。

 

測量野帳SKETCHBOOKは3mm方眼。

この方眼を活かして所謂バーチカルというフォーマットを作成。

 

測量野帳は一冊40ページ。1年間は52週なので、野帳一冊では1年分を賄えないのだが……「まあ俺、トラベラーズノートを上半期と下半期で替えてるしなぁ。さほど億劫じゃないよなぁ」と考えたら飲み込める程度の欠点だと気付く。

 

測量野帳は①軽量、②紙質が良い、③軽量 と文句なしの品質なのでこの自作手帳は何の不便もなく使えていたものの……

やっぱり罫線を引くのがダルい(それはそう)。

 

毎度毎度罫線を引くのがアホらしくなってきて、「野帳1ページ分をカバーできる罫線をデザインしたハンコをオーダーしてみたら良いのでは?」と思い至って“オーダーメイドハンコ”などと検索してみたりもした。

しかし、「押印をミスって方眼のマス目とスタンプがズレる週も絶対あるよなぁ」などと考えてスタンプ作戦は採用取りやめに。

 

「今までの話は何だったんだよ」と言われてしまうかも知れないが、色々迷って2024年は大人しく既製品の手帳を買うことにした。

 

選んだのは売り場で実際に商品を目にしてみて内部のレイアウトとサイズ感が良く、重量が許容範囲内であると感じた「ジブン手帳Lite B6スリム」。1年前の僕はこの子を今年の相棒に決めた。

 

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↑自分手帳Liteはこの記事ですでにお目見えしてる。

 

手帳を話題にしたので、今度手帳のエントリを書こうかな。

手帳とカレンダーから考える、世界の捉え方の話 - 映文計

などと書いてから10ヶ月も経過している事実にただ慄くばかりだ。

 

 

ジブン手帳は本来3冊のリフィルを持ち歩くというコンセプトの手帳だが、持ち物を軽くしたい僕にとってはこのコンセプト自体相性が悪い。

 

しかし「ジブン手帳Lite」は1冊で完結するフォーマットだし、B6スリムのサイズ感、そして表紙の手触りが良くて気に入っている。

 

この手帳と共に使用する筆記具はFRIXION POINT KNOCK(0.4mm)のブルーブラック。

いや〜、フリクションポイントノック、良いっすよ。

約2.9mmの方眼のマス目に書いても文字が潰れない。長らくフリクションの弱点だった色の薄さも昨今は改善されているし、シナジーチップがもたらす潤沢なインクフローによって擦れもない。

今のところ理想の組合せ。

やはり手帳は予定の描き直しが出来てナンボでしょう。

 

JETSTREAM EDGEはかなりピーキーなペンであると評されるが、0.28mmのボール径は極小方眼との最高の相性を見せてくれる。

一度書いたら消すことは出来ないが、それゆえ各種期日といった「消してはいけない予定」、「毎月不変の予定」を書いている。

 

僕が主に使うのはウィークリーページ。

「予定をデータで入力して、マンスリーページとウィークリーページに記入する」というルーティンを組むとトリプルワークでムダだし、絶対に抜けが生じる。

正直、マンスリーページなんぞ買ってからほぼ開くことがなかったのでデッドウエイトとしか感じていなかったものの、最繁忙期を前に自分が抱えている複数の案件を俯瞰的に把握する必要に迫られて最近使い始めた。

 

「●月×日に△△社の案件があるから、○月□日に上長の承認を貰う」、「案件の○日前に請求書を発行する」といったスケジュールを管理しようと思うと、ウィークリーページは些か近視眼的にすぎる。

「○○社の××さんと10:00にアポイント」などといった細かな予定はウィークリーページに任せ、マンスリーページは案件の進行管理にのみ利用するようにしたら、これが大分具合がよい。

 

「一覧管理なんてデジタルでもできるじゃん」と思われるかも知れないが、今の僕は若手の育成に携わっているため、スケジューラには常に若手の予定が表示されている。

結果、僕のスケジューラは必要以上の情報が表示されて見辛くなってしまった。

そこでマンスリーページを使い始めたというわけ。

 

外回りの多寡によってデジタルと紙の手帳の使い分けが変わり、キャリアの変遷によって使用するツールも変わる。使わなかったページを使うようになる。

 

愛用品の選び方というのはその時々の自分の気分で変わるものだと思っていたけれど、外的要因によって変更を余儀なくされるところも多分にあるらしいことに気付いた。

リロードすれば実感。半年の歩み/TRAVELER'S notebook

何事も長く続かないのが僕という者でして。

 

一時期は毎日更新していたこのブログも更新が滞ってしまった。

 

そんな僕が過去何度となく中断しては復活して、そして中断してきたのが日記。

以前もこのブログで取り上げたことがあるけど、僕はTRAVELER'S notebookが好き。

eibunkeicinemafreak.hateblo.jp

 

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トラベラーズノートを初めて購入したのは10年ほど前。何度日記を書くことを挫折したかは忘れてしまったが、2023年からトラベラーズノートの日記を再開していて今日まで続いている。

 

トラベラーズノートのリフィルには幾つものタイプがある。

僕が使っているウィークリータイプは1〜6月と7〜12月でリフィルが分かれていて切替が必要。

本日7/2。ちょうど2024年の後半のリフィルに交換した。

 

昨年から日記を再開したとは言いつつ、その実体は「2週間前の分を書いてる」、「1カ月前のことをTwitterの投稿を元に思い出しながら書く」、「1日で1週間分を纏めて書く」といった体たらく。

 

が、今年は1週間とズレることなく、毎朝出社前にマックに寄って前日分を書くと言うような日々が続いていた。

 

「1年で一冊もたないのはちょっと……」、「リフィルを交換するのって手間じゃね……」などと感じていた時期もあったが、今はこの交換の時期が結構楽しみだったりする。

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水色の表紙の方が上半期。ネイビーの方が下半期。

 

トラベラーズノートを使い始めると、ユーザにはある変化が訪れる。

 

それは、「紙モノが宝物に見えてくる」こと。シールは特に嬉しい。

その頃何を買って、どんな展示会に行って、どんなブランドの服を着ていたのか。

紙モノを見つけたら取っておいて、表紙や内側に貼り付けていく。

そうすると、その時々の自分の変化が窺い知れて、後から見返した時に良い感じに人生を振り返れるだろう。

そんな祈りを込めて日記を書いている。

 

水色のノートの右上に集中して貼られた“TRAVELER'S ○○”と書かれたシール、そしイビーのノートに貼られた“THE RIVER”以外の全てのシールはTRAVELER'S COMPANY謹製公式カスタマイズシール。

 

カスタマイズシールの中にはインレタもあるので上手いことやって奇麗に文字を写したかったのだけど……

転写を頑張りすぎて赤い部分がすれてしまった。

 

うまく転写できたかな?と剥がしてみたらちゃんとできていなくて、なんとかリカバリーを試みたことが感じられるこちら。

 

でも……はなれて見たらわからないし……

「味」だよネッ(フフ)

“Poor Things”/『哀れなるものたち』を観て感じたこと

Filmarksで感想を書いていたらめちゃくちゃ長くなってしまったのでせっかくなのでブログにも載せてみる。 

「哀れなるものたち」“Rebirth”ポスタービジュアル

 

2024年8作目(9本目)

同監督作『女王陛下のお気に入り』よりも本作の方が好き。

リッチな衣装、リッチな美術から来るこれ以上ないほどのリッチな画にノックアウトさせられた。

 

外界から隔絶された邸宅の中で「箱入り娘」として育てられたベラが外界と、そして他者と関わることで成長していく描写は圧巻。

 

ベラが自身を解放していくキッカケは自慰行為と性交。
そして、彼女の個性が爆発するのは船上でのダンス。ダンスは歌と並んで世界でも最も古い芸術の一つと言われている。
持ち金が無くなってパリに流れ着いたベラが選択する職業は、世界最古の職業とも言われる娼婦。

 

このように、人間にとって原初的な領域で徐々に自我を形成していくベラだが、世界との接点を持ち、そして世界の歪みに気付くキッカケは船上で老婦人マーサに渡された本であるという点が示唆的。
文化の力とその可能性を信ずる僕にとって、素晴らしく背中を押されるシーンだった。
ベラの世界・社会・外界に向けた目は、今日的な文化・文明の象徴たる書物によって開かれたのだという点に勇気づけられた視聴者は多かったのではないだろうか。

 

「この本が純真なベラに無用な知恵をつけたのだ」とばかりに本を捨てるダンカンは、「女性は知恵をつけない方が良い」と主張する"悪しき男性性”を備えた男性の象徴のように思えた。
また、ダンカンに本を捨てられたそばから新たな本をベラに差し出すマーサの姿からは「暴力に屈しない文化の不滅性」と「男性から押しつけられる不当な扱いに対し、女性同士の連帯こそが何よりも力になるのだ」というメッセージを感じ取った。

 

マーサと共に船旅を満喫するハリーと寄港地アレキサンドリアで貧困に窮する人々を目撃したベラは大きな衝撃を味わう。
ダンカンがギャンブルで儲けた大金を見たベラは「このお金を貧しい人々に渡さなければ」と考えて行動するが、「自分達が恵まれない人々に寄付をします」と主張する船員に大金を手渡してしまう。それによりベラとダンカンは持ち金を全て失って浮浪生活を余儀なくされる。

 

この一連の流れは社会の現実そのものと言えるのではないだろうか。

 

友人であるハリーの意地悪から過酷な現実を突きつけられ、心に大きな傷を負うベラ。
これは「“友人”なる存在(或いは、自分が一方的に“友人”だと思っている存在、と読み替えても良いだろう)がいつ何時も自分にとって優しさを向けてくれるわけではないことのメタファーだと感じたし、「苦い経験によって初めて見えてくるものもある」というメッセージも感じた。これは社会生活を営んでいる者であれば誰もが思い当たる節があることだろう。

 

寄付金を自らの懐に入れる船員は、「自分自身が善意で起こした行動に対して、社会は時に不誠実を以て応えることがあるのだ」ということを示唆的に現していると感じた。

 

資本主義社会で特権的地位にいたダンカンが、お金を失ったことでその地位を失い、資本主義社会において自ら支払い行為を行う機会が無かった(「価値の交換」という金銭の役割から離れた邸宅で暮らし、駆け落ちの旅に出て以来ダンカンに経済的に依存したまま旅行を続けていた)ベラは、持ち金を全て失うことによる影響が殆どない。
それどころか娼館という働き場所を自らで見つける強かさを見せ、同僚トワネットの影響で社会主義に傾注していく。
自慰行為や性交に耽溺していたベラが、「娼婦」という性を道具にした職業を選択し、哲学や社会主義に耽る。

 

自身が快感を覚えた人間の持つ原初的な衝動を職業に活かした上で、自身の内面的興味関心は哲学的・思想的な領域に向かっていく。

 

そして、そんな彼女の傍らには新たな友人トワネットいて、書籍がある。
これを文化・文明の力、そして連帯の力と言わずして何と言おうか。
そして、これによってヨルゴス・ランティモス監督が人間を「“野生”と“文明”が共存する存在」として規定しているらしいことが読み取れる。

 

アレキサンドリアでベラが目撃した「階層格差による絶望的なまでの人類の断絶」は本作の白眉とも言えるシーンだった……
ベラには自らが“彼らを見下ろす側”にいることへの絶望もあったように感じるし、それでいて彼女が“彼らの側に加わる”ことを選ばず船に戻り、施しをすることで罪の意識を贖うことを選ぶことのメッセージ性に気が付いて恐くなった

 

あそこで「下界」の人々を憂いて涙を流すことが出来るのは紛れもなくベラの優しさだと思う反面、ハリーの手を振りほどいてでも自分が特権階級の側から抜け出すことを選ばなかったベラは、この時点で既に「純真無垢」なキャラクターからは脱してしまっていると言える。
彼女はこの時、明確に無垢なる存在から“打算”を覚えた「人間」になってしまったのだと見ることも出来よう。

 

作中で男達や特権階級による支配に対して「否」と言い続けてきたベラ。
本作後半にはブレシントン将軍という「支配階級の男性」の象徴のようなキャラクターが登場し、ベラは自身の“元夫”である彼の家で束の間の共同生活を営むが……
そこで将軍がベラに求める役割は「自己主張をしない女性」、「口答えをしない女性」、「無知な女性」であり、自分の家を離れて哲学的知性を身につけた妻を将軍は疎ましく感じるようになる。

 

そして将軍が自分に向けた銃を取ったベラは将軍を撃ち、彼の怪我を治療するために生まれ育った邸宅へ帰る。

 

ラストでは自身が受けたのと同じ手術を将軍に施したベラが、彼の「飼い主」となって物語は幕を閉じる。

 

そこにアレキサンドリアで貧困に喘ぐ人々の姿にショックを受けて涙を流したかつての彼女の姿はない。
「作中で男達や特権階級による支配に対して「否」と言い続けてきたベラ。」と前述したが、そんな彼女が持つ者と持たざる者、支配者と被支配者という世界の構造の中に組み込まれてしまったことを雄弁に物語っている。

 

「体は大人、頭脳は子ども」で、外界の全てに新鮮な反応を示していたベラだが、ラストシーンに向かうにつれてその反応が薄らいでいく。
序盤ではあれほど自慰行為や性行為に喜びを見いだしていたベラが、中盤以降は殆ど性行為をしなくなっていく。
世界を知るにつれ、人は感動を失っていく。

 

“賢く”なることは、却って人に不幸をもたらすのではないか。
「哀れなるものたち」とは、知恵を得てしまった人類全般を示唆しているのではないか。

 

言わずもがな、この投げかけは旧約聖書『創世記』2章9節から語られる、「(蛇に唆されて)神との契約を破ったアダムとイブが、エデンの園で知恵の実を食べてしまった」というエピソードを下敷きにしている。

 

ベラの育ての親の通称は「ゴッド」だし、そう言った意味でかなりキリスト教的な思想の色が濃い映画だなと感じた。


【考察メモ】
・アレキサンドリアの「断崖」は、聖書におけるバベルの塔のメタファー?
バベルの塔の説話は「天まで届かんとする塔を建設する人類に怒りを覚えた神は、それまで一つだった言語を乱し、人々の意思疎通が出来ないようにした。それによって塔の建設は中止された」というもの。
本作における「断崖」がもたらす隔絶は「経済的格差が大きすぎて、異なる階級に属する人間はコミュニケーションすら取ることができなくなった資本主義の生んだ歪み」の象徴?

filmarks.com

 

人生最高のお買い物

 

ちょっと前に下書きにしたためていたエントリだけど、せっかくだから供養しようと思う。

 

「雑誌弱者なのだ」という自覚

普段、雑誌というものをあまり買わない。

漫画雑誌は以前「週刊少年ジャンプ」と「週刊少年マガジン」を毎週買っていたが、今ではもう買わなくなった。

 

そんな中、2号続けて買ってしまった雑誌がある。

"BRUTUS"だ。

 

FacebookInstagramで広告が流れてきて、広告掲載当時の最新号が「№ 999」だと知った。

その特集テーマが「本棚」。

どうやらこの雑誌で「本」を扱うのは恒例らしい。

本が好きなので、本屋に立ち寄った際に買い求めた。

 

雑誌名をあいまいに記憶していたため、検索用の端末で"POPEYE"と検索して該当の場所に行っても「広告で見た書影に該当する本がない……」と混乱。

その場で検索し、よくよく確認してみると雑誌名を誤っており、正しくは"BRUTUS"だと分かったときは笑った。

発売から日も経っていたので、売り場に残った最後の一冊となった「№ 999」を購入した。

 

次号は№ 1000のメモリアル号。

普段読んだこともない雑誌だけど、名前は知っている有名雑誌。そのメモリアル号を手に入れたいと、野次馬根性で特集タイトルなどを気にせず買ってみた。

 

 

「雑誌とどう付き合うか」という問い

漫画雑誌は頭からお尻までほぼ全ての掲載作品を読んでいたけど、この手の雑誌は通読するのではなく気になった個所をピックアップして読むのが良いのだろうか。

 

近年、「漫画の読み方がわからない」という世代がいるという話を聞く。

「そんな馬鹿な」などと思ったりもしたが、カルチャー雑誌的なテイストのものに今までほとんど触れてこなかった自分が、「この手の雑誌の読み方を実は知らない」という事実に気づく。

 

漫画雑誌を除いては、模型雑誌くらいしか雑誌というものを読んでこなかったように思う。

付録目当てで雑誌を買ったこともあったけれど、何か一つの雑誌を定期購読するということはしてこなかった。

この手の雑誌はいつでも手に取れる場所に置いておいて、パッと開いたページに載っている情報を眺めていく。そんな付き合い方がよさそうだ。

まぁ、模型雑誌も全ページ読んでいたわけではなかったもんな。

 

このエントリを読んでいる雑誌好きの方は、それこそ「何をいまさらそんなことを」と思うかもしれないけれど、思えば雑誌との付き合い方を明文化する機会ってそんなにないじゃない。

 

そんなわけで、いつも通り長い長い前置きはこのあたりにしておいて、この度「はじめまして」の状態でBRUTUS2号連続で購入したわけだけど、同誌の1,000号にメモリアル号の特典としてステッカーがついていた。

 

”BRUTUS”の正体見たり!

そして、そのステッカーを見てハッとした。

「こいつ、『ポパイ』の敵キャラじゃん!」

 

あ、そういうこと?

雑誌"POPEYE"があって、そのライバル雑誌として生まれたのが”BRUTUS”ってこと?

それなら、僕が冒頭で披露した「雑誌名を間違えた」というエピソードもやむを得ないことだったのかも。

 

ソースとしては弱いが、両雑誌の関係性を調べていて真っ先に見つかったのはWikipediaの記事。

ja.wikipedia.org

 

こちらのページにも兄弟誌としての両誌の関係性を説明してくれている。 

ブルータス|BRUTUSwww.strawberryandpeoples.com

 

BRUTUS 1000号の特集は「人生最高のお買いもの」。

さて、自分にとってそれは何だろうかと考えてみる。何かなぁ。

 

僕の「人生最高のお買いもの」

パッと思い浮かんだのは、PILOTの万年筆”CUSTOM742”と、デザインフィルの手帳”TRAVELER'S notebook”

ノートは純正のコットンケースに、万年筆は革のケースに入れて持ち運んでいる

 

CUSTOM742は、浪人時代何度となく通った横浜の東急ハンズが一度閉店する際に足を運び、高級文具コーナーで安売りをしていた品を購入した。

僕が足を運んだタイミングではすでに商品がだいぶ減っていて、ニブの選択肢があまりなかった。

残っていた中で最も細いSM(中字・軟)を選択。社会人になるタイミングで購入し、10年以上使い続けている。

本当は手帳用にもっと細字のニブを求めていたものの、10年以上の付き合いになったことで今や太さも含めて「これだよこれ」と感じるし、「これじゃなきゃダメ!」とも感じる。

 

TRAVELER'S notebookは、文房具に興味をもって文房具ブロガーのブログをサーフィンしていた時に見つけた。

使い続けることで魅力を増す革製品。「革を使った手帳」というとシステム手帳が代表的だけど、毎日持ち歩くものなのに金具が重いという弱点がある。

トラベラーズノートは金具による不要な重量もない一方で、革を育てる楽しさも味わえる。

 

何よりも、僕はこの商品を含めたTRAVELER'S COMPANYの提示する世界観が好き。

www.travelers-company.com

 

東京駅にもお店を出しているけれど、時間の都合つく人は是非中目黒の店舗"TRAVELER'S FACTORY"に行ってみてほしい。

www.travelers-factory.com

真新しいピカピカの建物じゃないのに、古さが「美しい」と感じられる空間なのが素敵。

時間の経過によって物質に訪れる変化を「劣化」ではなく、味わいを増すために必要なものとして受け入れているような、そんな空間。

この哲学はこのブランドの商品にも通底した思想で、ブランドのフィロソフィーを体現した空間で商品を眺める喜びは、ネットショッピングでは到底得られないものだ。

 

僕は仕事用の手帳は毎年別途用意し、トラベラーズノート(レギュラーサイズ)のウィークリーリフィルを日記代わりに愛用している。

社会人になってからは日記がとにかく続かなくて、毎年のようにトラベラーズノートを買っては23ページだけ書いてその年は利用停止。全然ページが埋まらないノートに、そして埋められない自分自身に恨めしい感情を抱いては「今年こそ」とリフィルを買い足す生活を続けてきた。

しかし、23年は毎日の記録を残すことに成功した。1週間前のことを思い出して書くようなルール違反も正直しているけれど、とにかく続いたということは自分の中で自信になっていたりする。

24年も日記は継続中。

 

トラベラーズノートのリフィルは万年筆の使用に適した「MD用紙」を採用している。これは「ミドリダイアリー用紙」の略で、万年筆のインクをしっかりと受け止めて裏写りさせない非常に性能の高い用紙で、万年筆ユーザーにとっては大変ありがたい仕様だ。

また、一口に「万年筆」と言ってもインクによってその性質は様々。

LAMYのインクで書いたときは、インクが紙の表面に完全にはなじまないような,、紙の上に「乗る」ような感覚の一方、PILOTのインキ(パイロット社は所謂インクを「インキ」と呼称するため、以下「インキ」とする)はMD用紙に美しく「吸い込まれる」ような感覚。

 

前者のインクは筆記後も紙の上でキラキラとした雫感・光沢感が残る。完全にしみこまないような状態が継続するので、筆記後も手の水分でインクがにじむ。

一方、後者のインキは紙に吸収され、筆記後からは光沢が消えてマットな質感に変わる。

PILOT CUSTOM742(とPILOT純正インキ)とTRAVELER’S notebookは単独でも素晴らしいプロダクトだが、「このコンビが最高だ!」と感じられる、僕にとってむにの組み合わせ。

 

そんなわけで、僕の「人生最高のお買いもの」は、一つだけでは完結しない。

PILOT CUSTOM742RAVELER'S notebookのコンビが、僕にとって最高のお買い物の一つかな。

 

“元気玉”は、悟空という主人公の持つ「希望の器」という機能の増幅器なのではないか

久しぶりのエントリだが、書かずにはいられないので書く。

 

その訃報に触れて、思わず職場「エッ!!!」と声が漏れた。

 

鳥山明先生が、去る3/1に68年の人生に幕を閉じた。

 

 

ドラゴンボールの偉大なところは、「好きな漫画」を話題にするとき、僕らの多くが「まぁDB好きなのは当たり前だろう」とばかりに、DBという作品名を敢えて挙げずとも話が進行する点だと思う。

 

知っていて当たり前の前提になっているから、お互いにファンであるか否かの確認をしないままに、共通言語としてドラゴンボール用語を口にする。

「ツンケンしやがって。サイヤ人襲来編のベジータかよ」とか、「お前の人当たりの良さクリリン並みだな」とか。

お腹を押さえてうずくまる友人には決まって「ヤムチャやんけwww」と声をかける。

 

僕ら世代にとってDBは、『ドラえもん』や『ちびまる子ちゃん』や『クレヨンしんちゃん』以上に共通言語として機能する作品だったように思う。

 

僕ら世代にとってDBがどんな作品だったのか言及しようと考えて、「白飯みたいな作品」という言葉が浮かんだ。

 

日本人同士で好きな食べ物を語り合った際、白米を挙げる人間は少数であるように思う。

だって、白米って皆好きじゃん。

当たり前にあって、当たり前に皆が好きで。

 

と、「僕ら世代僕ら世代」と言ってきたが、正確には僕はDB世代よりもちょっと下の世代。

小学校に上がる頃にZが終わってGTがテレビ放送していた、そんな世代。

 

水曜日はスイミングに通っていて、バスに乗って帰宅して8チャンネルをつけると『るろうに剣心』と『ドラゴンボールGT』が流れていた。

 

だから、『Dr.スランプ』で鳥山明先生が鮮烈なデビューを果たした瞬間も知らなければ、同作で大ヒットを飛ばした興奮も醒めやらぬ中で『ドラゴンボール』の連載を開始したその衝撃も知らない。

この事実は、上の世代のドラゴンボールファンに対する嫉妬にも似た劣等感を与えるに十分なわけだ。

ゼミの友人は“ONE PIECE”が大好きなのだけど、その理由の一つとして「『ドラゴンボール』も“SLAM DUNK”も、俺らよりも上の世代のものって感じするじゃん。

“ONE PIECE”は俺たちがリアルタイムで追いかけることのできた、「俺達世代の名作」って感じがするから好きなんだ」と言っていた。

 

そんな感情を抱かせてしまうくらい漫画界に輝く偉大なる巨星。それが、『ドラゴンボール』という作品なのだ。

 

 

タイムラインで多くのファンが先生の死を悼み、作品の思い出を語る。

そんな中で、このツイートが目についた。

 

 

これを読んで、僕は嘆息した。

「元気玉って、ものすごい発明だったんだ」と。

 

「主人公が仲間からの応援をパワーに変えて難敵に勝利する」というプロットは古今東西さまざまな漫画作品で繰り返されてきた展開だろう。

 

けれど、作品世界の住人たちに、主人公が自ら「元気を分けてくれ!」と嘆願する主人公がそれまでにいただろうか。

 

ピッコロ大魔王編から悟空の戦いは激しさを増し、四肢の骨を一つ一つ折られて身動きが取れない状態にとどめを刺されるような、絶望感を覚える戦いも増えた。

次から次へと現れる強敵。その強敵との死闘に、「悟空はここからどうやって勝つんだ?!」と、読者の誰もが固唾を飲んでページを捲る。

 

読者は主人公の視点で物語を消費するから、必然主人公に感情移入して作品を読み進めていく。

けれど、ドラゴンボールを読んでいる自分は、小さい時から悟空になりきっているのではなく、悟空を応援して物語を読み進めていたように思う。

その感覚と、“元気玉”という技は無関係ではないと思う。

 

強敵との戦いに勝利するため、悟空はみんなの元気を分けてほしいという。

作品世界の住民は、天に手を掲げて悟空へ元気を分け与える。悟空たちの勝利を信じて、希望を託す。

 

ここに、僕ら読者の思いは作品世界の住民のそれと完全に一致する。

「悟空!がんばれ!」と。

 

どのバトル漫画作品の主人公も、基本的には作品世界の仲間や読者から応援されて、勝利を手にしていく。

悟空という主人公と元気玉という必殺技の組み合わせの妙は、主人公の持つ「読者からの希望を一身に背負う」という宿命を、必殺技発動の条件に落とし込んだところに革新性があるのではないだろうか。

 

日本では比較的マイナス評も目立つ『ドラゴンボールGT』。

けれど、僕はこの作品の最終回が好きで、VHSで何度となくこの回を観て育った。

3/8の24時を回った先ほど、GTの最終回を観た。

 

GT最終回に鳥山先生が関係していないことは知っているけれど、この言葉以上に鳥山先生の急逝を悲しむ僕らに寄り添ってくれる言葉を僕は知らないから、敢えて。

 

悟空がいたから楽しかった

ドジで 明るくて 優しくて

そんな悟空がみんな大好きだったから

これでドラゴンボールのお話はおしまい

 

 

こちらを読んで、休憩中にバーガーキングでワッパーを頬張りながら、人目も憚らず泣いてしまった。

www.shonenjump.com

 

偉大な才能を持ったクリエイターが、また一人この世を去ってしまった。

2023年の象徴的なエントリ

2023年、このブログで瞬間最大風速を感じたのはチープカシオについて書いたこのエントリ。

eibunkeicinemafreak.hateblo.jp

 

瞬間最大風速はチプカシのエントリには及ばないまでも、ふとブログの来訪者データを見た時に毎度「アクセス先」で一番になっていたのが『イコライザー』3作目でマッコールさんが身につけている時計の記事。

eibunkeicinemafreak.hateblo.jp

 

今見てみたらアクセス元の3/4がGoogleで、Googleからのアクセスの約半分がイコライザー3の記事。こうして考えると凄い割合だ。

 

この二つの記事はこのブログにとって今年を象徴するようなエントリになったので、書いて良かった記事だと言えるだろう。

 

今週のお題「書いてよかった2023」

 

 

お題全文:

今週のお題は「書いてよかった2023」です。

年末です! 今年もブログをたくさん書きましたか? 1年を振り返るついでに、自分が書いた記事も振り返ってみましょう。今週は「書いてよかった2023」をテーマに、みなさんのエントリーを募集します。「読むと、楽しかったあの旅行を思い出せる!」「つらいことがあったけど、書いて区切りがついた」「自分が書いたのに、いま読むと他人事に思えて変化を感じた」など、あなたの「書いてよかった2023」にまつわることを、はてなブログに書いて投稿してください! ご応募をお待ちしております。

 

ブログ以外にも「書いてよかった2023」があるんだけどね。

その辺はまた今度。

 

前回:

eibunkeicinemafreak.hateblo.jp