思考の枠組みとは世界の見方・捉え方そのものである。
思考とは、その者の用いる「言語」に大きく依存する。仮に「日本語」と言う言語がなくなるようなことがあれば、「日本的なものの考え方」をも消滅の憂き目にあう。
ゆえに、言語や民族の多様性といったものは大事なのだ。
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何故冒頭からこんな大風呂敷を広げているかというと、年末になって手帳やカレンダーを目にする機会が増えたからだ。
つい先日は自分自身で来年の手帳を買い求めたし、12月に入って取引先から壁掛けカレンダーや卓上カレンダーをいただくことが増えた。
僕は手帳もカレンダーも月曜始まりのものしか使わない。
社内で用いているメールシステムにはメールと連動したカレンダー機能があり、それは任意で始まりの曜日を選択できる。
デフォルトでは日曜始まりだったが、月曜始まりに設定を変更して使っている。
しかし、セールスの日誌を書いたり、今後のスケジュールを入力するシステムはデフォルトの日曜始まりから変更することができず、何年も非常に煩わしい思いをしている。
わざわざ本社のシステムサポートに連絡をしてみたが、「大本のシステムが日曜始まりなのでどうしようもない」と言われてしまった。悔しい。
僕は1週間を「月曜から始まって、日曜日で終わるもの」と認識している。
そんな僕の世界に、日曜始まりの暦は邪魔なのだ。
自分のコントロールの及ぶ範囲のものはすべて月曜始まりで揃えたい。
オフィス内に日曜始まりのカレンダーが並んでいても、極力それは見ないようにしている。
ここで僕が言いたいのは、「君たち、仮に”1週間の曜日をすべて答えろ”という問題を出されたとき、「日月火水木金土」と答えるのか?」という点である。
「月火水木金土日」って答えるんじゃないの?
あと、ビジネス手帳は月曜始まりのものが多いのに、カレンダーは日曜始まりのものが多いの、おかしくない?
月曜始まりの手帳を使っているのに日曜始まりのカレンダーを使っている皆、混乱しないの?
「週末」って言ったら「土日」を想起しない?
(映画公開日が金曜日に設定されることが増えたから、映画クラスタは金曜も「週末」感あるか)
とにかく、「月曜始まり日曜終わり」で俺の思考の枠組みは構成されているから、「日曜始まり」の異分子は視界の端にだって入れたくないのだ。
夫婦生活をはじめてしばらくは家の中にカレンダーというものを置いていなかったのだけれど、2023年からちゃん嫁がカレンダーを買い始めた。
二人とも印象派以降の西洋絵画が好きなので、2023年はゴッホ、先日購入した2024年のカレンダーはモネのもの。
書店で見つけて買い求めた物だが、海外からの輸入品で、いずれも日曜始まりのフォーマットだ。
(ゆえに、僕は絵画の部分しか見ない)
ちょっと待ってくれ。
君らが信仰しているキリスト教の経典たる聖書(旧約聖書)でさ、神様は6日間で世界を作って7日目で休んでいなかったか?
ならなんで日曜日を7日目に置かないんだよ!
おい!聞こえるか!お前らカレンダーでも信仰心を示せよ!
なぁ!
え?
イエス・キリストの復活したのが日曜日だから、一週間の始まりを日曜日にしてるって?
……あ、そうなの……へぇ……
知るか!
知らねぇよ!
バーカバーカ!
アホ!トンマ!マヌケ!オタンコナス!
スットコドッコイ!
わしゃ月曜始まりの暦しか使わんのじゃ!
分かったか!
ふぅ。。。
……ちなみに、冒頭の「言語とは世界の味方そのものである」という話は当たり前の事実なので特段何かを引用するまでもないが、「言語とは思考回路そのものであるから、民族多様性は保たれるべきである」という話が聞けるこちらのpodcastが面白いので聞いていない人は是非。
アトロク2放課後podcast #8
49:45辺りから。
手帳を話題にしたので、今度手帳のエントリを書こうかな。