年が明けてしまったけど書いてみる。
2021年12月12日。
“LAST NIGHT IN SOHO”/『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』を観てきた。
鑑賞途中、ハリウッド版『思い出のマーニー』かと思ったらとんでもない。
後半に進むにつれて畳みかけるように襲いかかるサスペンス演出の数々が滅茶苦茶スリリングだった。
『ベイビー・ドライバー』でリリー・ ジェームズがとても魅力的に描かれていたのと同じくらい、 本作においてトーマシン・マッケンジーとアニャ・テイラー= ジョイという、 ヒロインにして主人公の役割を担う女性二人の魅力が余すことなく伝わる作品 に仕上がっていた。
スタートシーンの時点で、観客はトーマシン・ マッケンジー演じるエロイーズの虜になること請け合い。
物語の序盤はどの時代を描いた作品なのか一見しただけでは分からない。これは明らかに意図された演出だろう。
『ベイビー・ドライバー』の主人公ベイビーを象徴する音楽関連のアイテムがiPodであったように、本作の主人公エロイーズを象徴する音楽に関連したアイテムはレコードだ。
プレイリストムービーと言っても良いくらい使用する楽曲のセンスに優れた“GUARDIAN OF THE GALAXY”の二作目が『ベイビー・ドライバー』と近い時期に公開されるため、使用される楽曲に被りがないかジェールズ・ガン監督に確認の連絡を取ったというエピソードからもエドガー・ライトが如何に音楽に拘りを持った監督かが分かるだろう。
エロイーズ(エル)の故郷であるカントリーサイドの のどかな風景から一転、 人がひしめく大都会ロンドンに入って早々にエルが遭遇するのが、彼女に対して「 君のストーカー第一号になろうかな」 というタクシードライバー。
そんな言葉に恐怖を感じたエロイーズは急いで車を停めさせ、 車外に出る。
きっとドライバーの彼は何の悪気もなく、 乗客とのコミュニケーションの一環のつもりでエルにそんな言葉を かけたのだろう。しかしそのあまりにも無神経に、 そして無自覚に向けられた彼の下卑た視線、下卑た言葉は、 最初から最後まで一本の串のように作品を貫いていると感じるのだ。
男性視聴者として女性はこんな恐怖や不快感に身をさらしながら日 々を生きているのかと思い知らしめられ、 世界の不均衡さに恐怖と恥を覚えずにはいられなかった。
また、作中では男性と女性という風に関係を単純化(敢えてこう書く)されているけれど、勿論「当人がは同性間でも有り得ることだ。
このシーンを観て何も感じなかった人、「女性って大変だなぁ」くらいの感想しか抱かなかった人は恐らく日常生活で無自覚に人を傷つけていると思うので思いやりを持って生きることを心掛けた方が良いだろう。
そして本作が遺作となったダイアナ・リグが、 作品の舞台となったカフェ・ド・パリを若い頃に初めて訪れた際、 階段を下りる際に男たちから全身を舐めるような視線を浴びさせら れたという記述をパンフレットで読んだ時、彼女がアニャ・ テイラー= ジョイ演じるサンディと全く同じ境遇に晒されていたことを知り、 背筋が凍る思いをした。
本作はサイコ・ スリラーとして数々の恐ろしいシーンがあったが、 この事実こそ僕にとって何よりの恐怖を感じさせるものだった。
政治や文化、国家、宗教、 人種と言った様々な観点から不均衡を無くし、 是正しようという世界的な潮流がある中、「 男女間で見える世界がこんなにも違うのか」 ということを雄弁に語ってくれる本作は、 男性が男女の平等を考える上で大いに役立つ一作であると信じて止まない。