映文計

映画と文房具と時計、好きなものから1文字ずつもらって「映文計」。映画のことを中心に日々綴っていきます。

「富山の人は封建的」?

「富山の人は封建的」。散歩をしているとき妻からそんな言葉を聞いた。

 

(“封建的”とはまた大層な切り出し方だな)などと思いながら続きに耳を傾けてみると、職場でこんなやり取りがあったという。

 

先輩「●●(妻)さん今日は遅番(20:00終業)?」

妻 「そうです~」

先輩「そうなんだ。旦那さん何も言わない?夜ご飯どうしてるの?」

妻 「主人は自分で料理できるので」

先輩「そうなの?偉いわね〜」

 

このやり取りを聞いて僕は「なるほど確かにこれは“封建的”だ」と思った訳だけど、このエントリを読んでいる人の中には「このやり取りのどこに“封建的”と評価するポイントがあるのだろう」と思った人もいることだろう。

現在40歳以上の方や地方都市にお住まいの方、そしてもしかすると男性の中には、このやり取りに潜む、妻が“封建的”と感じた点が理解できない人が多いかもしれない。

 

いうまでもなく、妻は同僚の一言から、「料理は女性の仕事」「女性は男性配偶者が帰宅するまでに料理を仕上げて迎えるのが常識である」という家父長制的な、そして固定化された女性観・ジェンダーロールを感じたのだ。

 

僕は仕事の転勤の都合で富山で暮らし始めて3年目になるが、以前仕事をしていた都内や名古屋と比べて確かに「男性/女性かくあるべし」という意識は富山のほうが強いような気がする。

 

妻は永らく接客業をしており、首都圏から東海圏で他店舗へのヘルプも含め15以上の店舗で接客を行ってきた。

彼女が言うには店舗に来る消費者には明確に地域性というものが見て取れると言う。

曰く、「静岡の富士は上品なお客さんが多くてクレームも少ない」、「愛知県は全般的に●●」

……。そんな風に職場が移るごとにその地域性を発見して僕に教えてくれるのが常だった。

そんな彼女だからこそ、職場で接する人々の言動から富山という地域に“封建的”という傾向を見出したのだろう。

 

かく言う僕も、会社で料理をすると言うと驚かれたり、「偉い!」と返されるケースは富山のほうが多い気がする。

 

やはり大都市圏のほうが価値観のアップデートが早く、地方都市ほどアップデートが遅いのだろうか。

僕のいる支店一つ例にとってみても、東京・名古屋は人材の入れ替わりのペースがかなり早い反面、富山はそれが非常に緩やかだ。

人の動きが激しければ異なった価値観を持った人が入ってくる機会も多くなり、自然と価値観のアップデートも果たされていくだろうし、年齢分布で考えてみても地方都市の方が年配者の人口構成比が高いだろうし、そんなところが大都市圏から地方都市に移ってきたぼくら夫婦が感じた「封建的」たるものの根源なのかなと。

 

今は共働き世帯も多いし、家事は家庭内で各配偶者が公平に負担して然るべきだと考えている(両者の収入に明確な差がある場合などは各家庭でルールを定めれば良いこと)。

 

「料理の出来る男性は格好良いよ」という物言いすらジェンダーバイアスを助長しかねない言説として控えるべきなのかも知れないけど、男性が料理をして当たり前の世の中が来たら、皆が幸せになれるのになぁとか思ったり。

 

そんなとりとめもない話。