映文計

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“The Shawshank Redemption”/『ショーシャンクの空に』【再掲】

※当エントリは旧ブログの記事の再掲です※

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金ローで『ショーシャンクの空に』がやっていて、何度観ても大好きで見るたびにラストシーンで泣いてしまう作品なので旧ブログのエントリを再掲しようと思った次第。

 

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“The Shawshank Redemption”/『ショーシャンクの空に』を、第三回 新午前十時の映画祭で鑑賞してきた。

 

 

特別映画好きな人間でなくても、「一番好きな映画は何か」というのは誰もが人生で少なくとも二度や三度は話した事のある話題ではないだろうか。

 

その中で『ショーシャンクの空に』を一番に挙げる人は少なくない。

 

僕が映画に本当の意味でハマったのは大学生の頃。
知人の中にもやはり「ショーシャンクが一番!」という人間がいた。

 

またちょうどその頃、各情報サイトが発表する「ユーザーの選ぶマイベストムービー10選」などで『ショーシャンクの空に』がトップ、或いは上位に選出されているのを多く目にするようになった。

 

これだけ高い評価を受けている作品。
絶対名作に違いない。
そう思っていた。

 

僕には「映画は映画館で観てこそ」という信念がある。
だから滅多に家では映画を観ない。

 

後世に語り継がれる名作ともなれば、待ってさえいればリバイバル上映も望めるはず。
だから最近BSの『プレミアムシネマ』で『ショーシャンクの空に』が放送されようとも、TSUTAYAのオススメ作品コーナーで推されていても、Amazonのオススメ商品としてサジェストが出てこようとも、それらの誘惑を跳ね除け続けてきた。

 

映画好きを名乗っておきながら、恥ずかしい事に僕はこの作品を観た事がなかった。


上にも書いたように「名作であるに違いない」という期待が、僕に本作を家の中で観ることを許さなかったのだ。

 

その期待と同時に、自らの中で上げ過ぎてしまったハードルを越えることができるのかという不安も覚えるようになった。

 

そうして、9/6にようやっと本作を観ることができた。

 

そんな僕が本作を観た感想はというと……

 

『最高』だ。その一言に尽きる。
まごうことなき珠玉の傑作だ。


自分で勝手に設けたハードルなぞ、いとも容易く越えてきた。
この名作の前では自分のちっぽけな心配など全くの杞憂に過ぎなかったということを思い知った。
それ程のパワーを秘めた作品だった。

 

散々魅力や考察が語られた本作に対して、今更僕があれやこれらを語るのは野暮だろう。
それを承知した上で、それでもこれだけは書いておきたいという数点を以下に記す。

 

【アンディの成功の皮肉】
有能な銀行員としての過去を持つアンディは、刑務所内でもその能力を存分に活かして所内の人間の事務処理のほとんどを請け負うまでになっていた。
所長をはじめとした多くの人間からその能力を買われ、重宝されるようになった。
しかし、重宝されているが故に舞い込んできた自らの無実を証明できるチャンスを所長に握りつぶされてしまった。

 

この皮肉が悔しくてもどかしくて仕方がない……

 

【「静」の作品】
アクションが目立つ作品を「動」の作品とすれば、今作は「静」の作品と言える。
そしてその静の作品において全体をまとめ上げていたのは紛れもなくモーガン・フリーマンその人だと言えるだろう。
モーガンはどの作品においても、彼がいるだけで画面と場面を締めることのできる俳優だ。
彼の発する静かなオーラ、語り口は作品全体に落ち着きと調和を与える。

 

そのモーガン演じる「調達屋」レッドの独白という形でストーリーが進んでいくわけだが、これが本作の持つ雰囲気と抜群にマッチしていた。
本作を縁の下から支え、屋台骨を支え、更には外装や看板の役割すら彼は果たしていたように思う。
モーガン・フリーマンという役者無くして、『ショーシャンクの空に』という名作は成り立たなかった。そうまでいっても良いと思う。

 

それ程までに彼がこの作品で担った役割は大きい。

 

もともと彼という役者も、またその演技も好きで、「優れた俳優の一人」と認識していたが……とんでもない。
「稀代の名優」といっても過言ではない。

 

【ショーシャンク刑務所の壁】
初めは恨み、次第に慣れ、最後には依存してしまうという刑務所の壁。

 

本作を観ていて僕が思ったのは、この壁は僕らの周りにも存在し得るものなのではないかということだ。
最初は事を成していつかは出てやろうと思っていた会社の中で次第にその気概を削がれて行ってしまうだとか、恋人からDVを受けている人がやがて暴力による痛みを愛と混合して依存してしまうだとか……
上手く例えることができないのがもどかしいけれど、あの「壁」は見えない形で僕らの身近に確かにある。
何かに苦しみ、その環境から逃れようと苦慮する時、誰もが塀の中の囚人たりえるのではないか。

 

そう思えてならなかった。

 

【Redemption】
本作の原題は“The Shawshank Redemption”。
Redemptionは「贖罪」、「贖い」、「救済」といった意味の単語だ。

 

これは誰に宛てられた言葉なのだろうか。
まずは「贖罪、贖い」について考えたい。
アンディは無実の罪で投獄された。彼には贖うべき罪など元々ない(所長の二重帳簿を手伝っていたことは罪と言えるが)。

 

次に「救済」についてはどうだろう。
苦痛に耐え、もがき苦しんだ末、最後に脱獄に成功したアンディには「救い」がもたらされたと見ることもできる。しかしこれは「救い」なのだろうか。
「救い」とは、神によってもたらされるものだ。
自らの努力と忍耐で成功たらしめた彼の脱出劇は、他者より「もたらされた」ものだと言えるだろうか。
僕にはそうは思えない。

 

彼は脱獄の成功という結果を自らの努力で「勝ち取った」に他ならないからだ。

 

では「贖罪」と「救済」は誰に宛てられた言葉か。
それはレッドに対してではないだろうか。

 

投獄されたばかりの頃、服役させられた理由を周囲から尋ねられたアンディは自分は無実の罪でここにいると答えている。
それを周囲は「ここでは誰もが無実だ」と笑っていた。

 

そんな中、レッドは作中で自分を咎人と認めるシーンがある。
彼は自身の罪を認め、向き合った上で勤労奉仕をしていた。
だから彼には救いがもたらされたのではないだろうか。

 

また、刑務所という閉ざされた環境にもたらされたアンディという光を放つ存在そのものが、レッドにとっての救済であったということもできるかもしれない。


【総括】
兎にも角にも良い作品だった。
最後に晴れ渡る空の下、砂浜で再会を果たす二人が映し出された時には、劇場のそこかしこで啜り泣きく声が聞こえた。

 

例に漏れず僕も泣いた。
号泣した。

 

映画館で潤んだり涙を流した経験はいくつもある。
けれど号泣と形容して良いほど泣いたのは今まで『素晴らしき哉、人生!』ただ一作だけだった。
後にも先にもこの作品ほど泣ける作品と出会うことはないだろうと思っていた。
しかしそれがあった。出会ってしまった。

 

本作がアンディ主観で進む構成であれば、彼が地道に抜け穴を掘り続ける様が描写されたことだろう。
しかし本作はレッドの一人語りで展開される作品だ。
観客もレッドたち登場人物達と同様、アンディの計画を知らぬまま「脱獄」という結果だけを知らされることとなる。
この展開が上手いと思った。

 

「雨垂れ石を穿つ」という諺があるが、アンディにはこの言葉がピッタリだと思う。

 

毎日ポケットから少しずつ掻き出した砂を捨てていく様はスティーブ・マックィーン主演の『大脱走』を彷彿とさせて、そこも良かった。
脱獄作品は当たりが多い。

 

それにしてもエンドロールで最後に「STEPHEN KING」の名前が流れてきた時には度肝を抜かれた。
“STAND BY ME”/『スタンドバイミー』、“CARRIE”/『キャリー』の原作者が彼であることは知っていたが、よもや『ショーシャンクの空に』まで彼の作品だったとは……

 

最強のハリウッド原作者といっても良いかもしれない。

 

この作品は殿堂入りだなー。

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以上、過去のエントリの再掲でした。

他に『ショーシャンクの空に』に言及した記事はこちら。

 

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