僕の通っていた小学校は給食センターと直結していたし、小学校から目と鼻の先に有る僕の通っていた幼稚園、そして小学校からトラックで10分ほどの位置にある中学校でも温かい給食を味わうことが出来たのは恵まれていたように思う。
母親の通っていた学校はおかずもバターも無しで食パンだけの給食だったらしい。
小学5年生だか6年生の頃、1学期は食パン1枚、2学期は2枚、3学期は3枚……とパンが増えていく謎システムがあったそうだ。
もともとパンが得意でない母は泣きながらパンを食べていたのだとか。昭和中期、給食を残すことなど許されるはずもなく、何とかパン3枚を胃に納めんが為に母が編み出したのが中休みに校庭をランニングして腹を空かすというもの。
そんな涙ぐましい母の努力を思えば僕の時代の何と緩やかな、そして何と恵まれたことか。
さて、前置きが長くなったが、そんな僕の「好きだった給食メニュー」は……
何だろうな〜
ド定番かも知れないけどソフト麺ミートソースは外せない。
うちの幼小中は給食メニューの主食が
月:パン/火:麺/水:ご飯/木:パン/金:ご飯
と曜日ごとに固定だった。
これまた余談だが「パン麺ご飯 パンご飯」という七五調のリズムが非常に美しく、中学時代の友人と話をしている際に誰かがおもむろに「パン麺ご飯」と口にしたら、誰かが「パンご飯」と下の句を次ぐくらい、卒業から15年以上経っているのに、僕らの耳に、心に残ってはなれない。そんなフレーズが「パン麺ご飯 パンご飯」なのだ。
週に一度しかない麺を真ん中の水曜日に配置すると「パンご飯麺 パンご飯」となってしまい、口に出したときの収まりの良さが著しく減退する。
やはり「パン麺ご飯 パンご飯」の旋律こそが至高であると三十路の今も思うのである。
そんな訳で、麺類好きの僕は週に一度の麺の日である火曜日が楽しみで、中でもタマネギとニンジンのみじん切りの甘さとひき肉の旨みが合わさったミートソースはソフト麺の淡白な味わいとマッチしていて好きだった。
他に好きだったのは鯛めし。
これは全国的に食べられているメニューでは無い気がする。
仄かに色のついた茶飯に、甘く煮込んだ鯛の身をほぐしたフレークがかかっている。
これが大人気で、バスケ部の友達だったトッシーは給食で一番好きなメニューとして挙げていたことを今急に思い出した(読んでいる人からしたら「誰だよ」としか思わないだろうが)。
大人になって愛媛の名産であると知った。
愛媛で本場の味を堪能したらきっと風味も豊かで凄く美味しいのだろう。
しかし、給食で年に数回しか遭遇しない「あの」鯛めしの味に迫るものは無いんじゃないかなぁ……
そうそう。給食と言えば、僕が幼稚園の年少の頃はアルミ?スチール?製の銀の浅い更に料理が盛られていた。
生野菜も供されていたように思う。
しかしO-157騒ぎがあって生野菜が給食に出現することがなくなり、幼少期の僕は嬉しかった記憶がある。
そして年長に上がるタイミングだったか小学一年生に上がるタイミングで、金属製の味気ない食器からコレールの陶器の食器が刷新されたのだった。
四半世紀前のことを覚えているくらいだから、全く食欲をそそらない金属製の食器から陶器に変わったことは幼い頃の僕にとって大きな変化だったのだろう。
給食は幼い頃の記憶との結合具合が密接だな……
給食に思いを馳せると枝分かれして様々な記憶の扉が開く。
先日TwitterのTLで見かけて「おっ!」と思ったのはこちら。
これ、好きだったなー笑
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