映文計

映画と文房具と時計、好きなものから1文字ずつもらって「映文計」。映画のことを中心に日々綴っていきます。

"LIGHTYEAR"/『バズ・ライトイヤー』がSTAR WARSだった話

2022年7月2日。公開翌日に"LIGHTYEAR"/『バズ・ライトイヤー』を観てきた。

結果、STAR WARSだった。

 

近年、スターウォーザー仲間で映画の話をしている際、「(この作品は)STAR WARSっぽい」とか「俺たちの見たかったSTAR WARS」という話題を口にすることが増えた。

 

2015年公開の“STAR WARS: THE FORCE AWAKENS”/『スター・ウォーズ:フォースの覚醒』から始まるシークエル・トリロジーがファンの期待に沿うものではなかったことからくる失望感が、僕らファンの口からこのような話題を引き出しているのだが、そんなことはどうでもよい。

 

「“LIGHTYEAR”はSTAR WARSだった」。

それも、良くない部分を凝縮したようなSWだったのだ。

 

以下ネタバレ&本作のファンにはあまり気持ちの良いものではない僕の意見も入るので、そういうのが気になる方はここで読むのを止めにすることをお勧めする。

 

 

ジャージャー・ビンクスとモー

平成一桁生まれの僕は「新三部作世代」だ。

地上波放送で旧三部作に触れてSWが好きになり、1999年の『エピソード1:ファントムメナス』で初めてSWシリーズを劇場で鑑賞した世代。

初めてSWを劇場で鑑賞できた喜びと、年齢がほとんど同じ(後に同い年と知る)ジェイク・ロイドが演じるアナキンがいてくれたから、より一層物語に熱中した。

 

そんな訳で、後に本国ではジャージャー・ビンクスが非常に嫌われていると知ったときはちょっとショックだった。

 

僕にとってジャージャーは「いて当たり前」のキャラであり、好きだとか嫌いだとか判断を下す対象であると考えたことがなかったからだ。

今では「まぁ嫌いになる理由もわかるな」という感じだが、それでも僕は彼のことは嫌いになれない。

 

翻って“LIGHTYEAR”である。

吹き替え版では僕の大好きな三木眞一郎さんが吹き替えを担当しているモーというキャラ。

これがもう正しくジャージャーなのだ。

子供の頃は「いて当たり前」のキャラだから気にならなかったジャージャーの「主人公組に危機をもたらすためだけに用意された存在」というロールに対するヘイト、俺にも分かったよという感じ。

 

ある作品を好きになれるかどうかは、主要キャラクターへの愛着を持つことができるかに左右される部分が大きいと思う。

“LIGHTYEAR”はモーを中心に主人公サイドが「何かこいつ好きになれないな……」というキャラばかりで、それがノイズとなって作品全体に対する自分の評価を固定してしまった感がある。

 

というか僕は本作に対して「何か今一つ」という評価なんだけど、その評価の殆どがモーに対するイラつきに起因するものだと思う。

 

作中、ワープ航法(?)に入る描写がSW作中に於けるハイパースペース・ジャンプのシークエンスと酷似していることは言うに及ばず、多くのディテールに「SWらしさ」が散りばめられている。

(ウォーザーじゃないうちのちゃん嫁も「SWっぽかったね」と言っていた)

SWには見習うべき美点が数多くあると思うけど、一番「SWらしさ」を感じたのが本国で不人気なジャージャーに似たモーのキャラ造形というのは何だか残念。

 

最後の方に「緊急ボタンを作動させる」いうモーの機転で危機を脱するシーンがあるけど、これも何か取って付けたような活躍シーンでイマイチ乗れなかったなぁ……

「気が弱くてミスばっかりだけど機転が利く」みたいなキャラであることを事前に且つ丹念に描いていれば印象も変わったんだろうけど、そうでも無かったし。

 

あのキャラ造形&彼にフォーカスしないまま物語を進めるのであれば、緊急ボタンを押そうとするモー、「最後まで諦めるな!」「スペースレンジャーの誇りを捨てるのか!」と止める周りのキャラ……を描写した上で、それでもモーが緊急ボタンを作動させる。

そうしたらエアバッグが作動して、ラッキーパンチで敵を片付ける……みたいな展開の方がまだ良かったのでは?

……いや、ラストでそんなスカされてもそれはそれで腹立つな……

 

TCWで観た」

これはもう言い掛かりだろうと言われればそれまでなんだけど、作中で繰り広げられる展開のあれやこれやに対して「何か“STAR WARS: THE CLONE WARS”で観たことある気がする……」という感覚が拭えなかった。

 

前述した「ロボットの頭上から巨大な構造物を落としてガッシャーン!」というシーン、一体何度TCWで観たことだろうか……

 

未開の惑星を探検する様子も、敵戦艦への潜入ミッションもこれTCWで(以下略

 

TCWは全7シーズンもあるんだから似たような要素があるのは仕方がないだろう」という意見もあるかも知れないけど、もっと幾らでもキャラクターを上手に転がすことができたと僕は思うんだけどなぁ……

 

何故作中最大のSW要素をハズすのか

TOY STORY 2で明かされた衝撃の関係性。

「バズの宿敵たる帝王ザーグの正体が実はバズの父親だった」という例の展開。

“I, am your father.”

“Nooooo! ”

 

これは言うまでもなくSTAR WARS EPISODE Ⅴ: THE EMPIRE STRIKES BACKのオマージュだが、このシーンに触れたスターウォーザーは誰もが思わずニッコリしてしまうわけ。

 

なのにさ!その!シリーズ最大の!SW要素を!何で!無しに!しちゃうのよ!

 

とか思った次第。

いや、これは僕がSW好きだから気にくわないとかそう言うことじゃなくて、「こんな設定だったら2作目のあのやり取りは何だったんだよ」となっちゃうじゃないのと。

 

僕はTOY STORY 4が公開された2019年当時、同シリーズのコアファンが怒りを露わにしているのをどこか冷静に見ていたので、僕はTOY STORYシリーズへの思い入れはそこそこなんだなぁと思っていたんだけど、実は結構好きだったみたい。

 

というかTOY STORY 2が初めて親の手を離れて友人同士で観に行った映画作品ということもあって思い入れ深い一作だから、2に直結する要素に対して余計に気になってしまうのかも知れないけど。

 

バズのキャラクター

TOY STORYシリーズの魅力を語れと言われたら、僕はウッディとバズ2人のキャラクター性と関係性の変化だと答えるだろう。

 

とりわけ、自己中心的で自己陶酔型の人格だったバズが、ウッディをはじめとした「アンディのおもちゃたち」と触れ合う中で性格を変化させていく様は、シリーズを追いかけるうえで非常に魅力を感じる要素だ。

 

シリーズ2作目。

新品のおもちゃである二人目のバズが、シリーズ1作目に登場したばかりのころの(アンディの)バズのような、ちょっとイタいキャラクターとして登場する。

一人目のバズがアンディのおもちゃたちとの触れ合いがないまま二人目のバズと出会っていたら、きっと同じ性格の二人が並ぶことになっただろう。

 

このことから、おもちゃが持つパーソナリティは、そのおもちゃの元となった「キャラクター」の人格に左右されると考えるのが妥当ではないだろうか。

リトルグリーンメンも3人とも似た性格してるし。

 

その考えに基づけば、当然本作“LIGHTYEAR”の主人公バズ・ライトイヤーのキャラクターは、TOY STORY 1作目でアンディのおもちゃたちと触れ合う前のバズ、あるいはTOY STORY 2に出てきた二人目のバズと同じような自己陶酔型の性格であるはずだ。

 

僕は“LIGHTYEAR”のバズを基にしたおもちゃが、TOY STORYシリーズのバズの性格を備えていることに違和感を覚えてしまう。

 

TOY STORY初期のバズの性格に即して考えるのなら、アリーシャに指摘された「“バズ・ライトイヤーの航海日誌”を腕のデバイスに話しかけて録音する」という行為を「世間的にはちょっと恥ずかしい行為」、「スペース・レンジャーの規定だが、誰も守っていない形骸化した規則」とは認識していないはずだ。

僕の知っているバズは、本気で“バズ・ライトイヤーの航海日誌”を録音している。

そんなタイプのキャラクターだ。

 

これはもうネットミームでいうところの「公式との解釈違い」みたいなイタいファンの妄言と捉えてもらっても良いけど、本作がシリーズファンから不評なのってこのバズというキャラクターを制作側が理解しきっていない(ように見える)点ではないかと思うんだけど、どうでしょうか。

 

1995年

オープニングでは、僕らが今まさに鑑賞している“LIGHTYEAR”という作品が1995年にアンディが鑑賞した作品であり、本作を鑑賞したことでアンディはバズのおもちゃを迎えることになったというアナウンスがあったけど、1995年らしさを感じるような要素が全然なかったのが非常に残念だった。

 

というかポリコレに対するあれやこれやが「1995年当時はこんなに意識されてないだろ」と思えるものばかりで、“1995年”と明記されたことがノイズにしかなっていなかったように思う。

 

良かった点

鈴木亮平バズ

富山で最寄りの映画館2つに字幕版での上映がなかったので吹き替え版で観たんだけど、鈴木亮平バズ、良かった。

白石和彌監督の撮る映画でしか彼を知らないんだけど、まぁ『ひとよ』でも『孤狼の血 LEVEL2』でも彼の演技が素晴らしかったので、あの実力をもってすれば声優もこなせることに大きな驚きはないかなといったところ。

 

ソックスが良い

公開前は「別にそんな媚びたマスコットキャラとか要らねぇんだよ分かってねぇな」と思っていたけど、なかなかどうしてこのソックスというネコ型コミュニケーションロボットが良い味を出していた。

健気で可愛いし、隠し機能満載で滅茶苦茶頼りになるし、最高の相棒キャラじゃんって感じ。

 

最後に

総じてTOY STORY好きには同作に関連した要素が少な過ぎて訴求力がなく、STAR WARS好きには「同作を想起させる要素が多い割に変なところでスカしてくるところが癪」という少々残念なバランスの作品であると感じた。

 

TOY STORYから完全に独立した作品として割り切ってみることができればよいのかもしれないが、もしTOY STORYと関係のない作品ですと本作を提示されたとき、果たして鑑賞したいかといわれるとめちゃくちゃ微妙という。

 

まぁ「SWっぽい」というのはスターウォーザーのイチャモンのようなものなので別に良いんだけど……

というか僕のようなウォーザーは何を見てもSWに結びつけて考える厄介な癖があるのでこれは改めないといけないなと思った次第。

直近で言うとこの記事でもSWに絡めて語ってたな笑

eibunkeicinemafreak.hateblo.jp

 

そういえば本作のストーリーの最後の最後で「この星で生きていこう」と決断を下すのもなんか僕の中のバズ像と異なっていると感じた部分だったりする。

というか、バズ以外の誰もが諦めてあの星で暮らしていくことを決断する中、ただ1人惑星脱出を信じて実験を続けるバズの行動が人民の心に火をつけ、最後にあの星を脱出するようなストーリーであって欲しかった。

俺が好きだったバズは、そういう奴だよ。