2022/07/16。
“LICORICE PIZZA”/『リコリス・ピザ』を観てきた。
忘れないうちに鑑賞録をつけておく。
感想を書き残すにあたり、この記事を読んで自分にもっと映画リテラシーがあったら一層楽しめたのになぁと思ったのだった。
映画の大海はどこまでも広く、そして深い。
備忘録的に感想を書き残そうと思ったものの、書きたいことの大半はタイトルに託してしまったんだよね……
まぁ良いや。
一言感想という感じで。
「寄り」のショットが意味するところ
本作を通して印象的なのは、「もうちょっと引きで撮った方が良いんじゃない?」と思ってしまうくらい寄りに寄ったショット。
これはきっと野心家ではあるものの、ティーンという若さから来る主人公ゲイリーの近視眼的な世界の見え方を表しているのだと思った。
しかし、寄りすぎなのではないかという印象を受けるショットの多くが、ゲイリーとアラナの2人を同時にカメラに収めたショットであることに気づいた。
画面の外=外界から切り離された2人だけの世界。印象的な寄りのショットは、ゲイリーとアラナ2人の行く末を暗示していたのではないか。そんな風に思えてならないのだ。
キーアイテムの一つ(?)であるウォーターベッド。
このウォーターベッドに2人が寄り添って寝るシーンの、ビニールの中に満たされた水と2人の掌のシルエット。
このシーンの美しさと、繊細さよ……
このシーンだけでポール・トーマス・アンダーソンという監督が他者を見つめる眼差しの優しさが垣間見える。
貴方/貴女を想って、走る
ゲイリーは走る。
ティーン故の若さとひたむきさで、彼は走る。
アラナと仲違いをしてピンボール店を開業した際、新規開店を知らせるチラシを持って車道を走る。
バイクから転落したアラナを心配して、芝生を疾走する。
ゲイリーよりも10歳年上のアラナも走る。
ティーン・フェスで誤認逮捕されてしまったゲイリーを救うために、警察署に向かって走る。
最終盤、ゲイリーを探して暗い夜道を走る。
そんなアラナに会うためにゲイリーも夜の街を走る。
お互いがお互いを求めて走る。
そんな姿が描写された直後、警察署からフェス会場に2人で走って戻った思い出の一幕がオーバラップする。
走り疲れた2人は歩いて角を曲がる。
俯きながら歩いていた2人が顔を上げると、目の前には自分が求めていた相手を見つける。
そして、それまで一度も交わすことのなかった口づけを交わす。
……何かもう書いているだけで恥ずかしくなってきたんだけど、本作の素晴らしいところは鑑賞中全く恥ずかしいという感慨を抱かせることなく終幕を迎えるところ。
僕が何よりグッときたのは、どんな時でも「全力疾走」、文字通り走り回って何かを成し遂げようとするゲイリーに対し、アラナが作中走るシーンはいずれもゲイリーのために何かをしようとするシーンであるということ。
誤認逮捕されたゲイリーを助け出したい。
ゲイリーに会いたい。
そんな純粋な動機が、彼女に走るという選択をとらせている。
一心にアラナだけを見ているゲイリーと違ってアラナは恋多き女性。
だけど、彼女が全力疾走するくらい大切に想っている存在はゲイリーだけなのだ。
お互いのために夜の街を走り回った2人が、歩きながら相手の姿を認めるというのも、どこか示唆的で良いなと想った。
きっとこの2人なら今後どんな困難があっても手を取り合って一緒に歩いていける。
そんなメッセージを感じたラストシーンだった。
……何か映画を観た直後は「俺はもっと話の展開や爆発力がある映画が好きなんだよな……」とか、「ラストに向かって複数の話の筋が一本に纏まっていくようなストーリー展開を期待してたのに、バラバラの要素がバラバラのまま終わったな……」とか思ってあまり好きだとは感じなかったんだけど、鑑賞録をつけていたら結構好きなポイントが見付かるもんだな……