富山県に着任して3年目。
コロナ下で2年本格的な帰省を避けていたものの、3年振りに実家に複数泊する帰省を行った。(6月に一日だけコロナ禍で初めて実家に足を踏み入れたけど、本格的な帰省は今回が初)
そして僕の帰省に合わせる形で1日だけ弟も近県から実家に帰ってきた。
両親と僕ら兄弟の四人が揃うのは3年前の僕の結婚式以来。
また、弟は昨年末に結婚をしていて、結婚指輪を着けた弟と会うのも初めてだった。
弟の時計
リビングの机に見慣れない時計が置いてあったので、「これ父さんの?」と訊くとどうやら弟のものらしい。
弟は長らく僕が大学生で彼が高校生の頃一緒に買いに行ったWIREDの時計をしていて、社会人になった弟に「もう少し大人っぽい雰囲気の時計も買ったらどう?」と勧めていたのだった。
(2022/08/18追記
恐らく「7T92-0KB0」というモデル)
が、彼は時計に対する興味も薄く、壊れない限り自分で買い換えるようなタイプでは無い。
机上にあった時計は弟の妻が結婚指輪のお返しに買ってくれた物らしく、SEIKOプレサージュの20代男性が着けるに相応しい若さを感じるデザインでもあり、高級感もあり、遊び心もある素敵な一本だった。
時計選びはその人の個性が現れるものだけど、贈り物を選ぶ際、弟のことをよく考えて選んでくれたんだろうなというのが伝わって来て、今回の帰省では会うことの出来なかった弟の奥さん(義理の妹さん)の人となりすら窺い知ることが出来た気がした。
父の時計
幼少時、父親の時計と眼鏡に触ると滅茶苦茶怒られた。
それくらい、父は1993年時分に出張先のカリフォルニアで買った自分の時計を大事にしていた。
そんな父が2002〜2003年、一年間の長期単身赴任出張先のアリゾナの打ちっぱなしゴルフ場で時計を紛失した。
プレーを終えて手と顔を洗う際、洗面台付近に時計を置いてしまい、そのまま駐車場へ。
駐車場で思い出して急いで戻ったものの、そこに時計の姿はなく……と、そんな流れだったらしい。
そんな不運な別れを遂げた父の思い出の時計。
「こんな感じじゃなかったかな」と検索して、それらしきモデルのリンクを父に送ってみた。
(絵がお世辞にも上手とは言えないのは、慣れないスマホ+指で描いたものなので目を瞑っていただいて……)
金のTAG Heuerのダイバーズ。
サイズは36〜38mmだったはず。
ベゼルがカチカチと音を立てて回転するのが格好良かった。
当時はその部位が「ベゼル」と呼ばれるパーツであることも知らなかったけれど。
父は物を長く大事に使う人で、社会人になるときに買ったと言っていたのでもう40年選手になるSEIKOの薄型クォーツ(スクエア、白文字版)、そして先日こちらの記事でも触れたLONGINES、
僕の中ではLONGINESといえば3針時計。 父親の務める会社は永年勤続表彰として父親の数年前の代までは金銭的なアレがあったのだけど、突如としてカタログギフトによる物品支給に。 父親が残念がりながら「物として貰うなら……」とカタログから選んだのがLONGINESのペアウォッチだった。 その腕時計が黒い革ベルトに白の文字版の3針モデル。そして、僕はその時初めて「LONGINES」というブランドを知ったのだった。
時計アンテナ22/08/03 - 映文計
そのものズバリなモデルがわからないんだけど、イメージ的にはこんな感じ。
G-SHOCKのアナログウォッチが一つ
そして僕が父の定年を機に「お仕事お疲れ様」という感じで送ったメタルベゼルのスピードモデル
これらが父がLINEで挙げていた現在の愛用時計だ。
SEIKOの薄型クォーツは当時売り場で最も薄く、最も軽いモデルを選んだらしい。
父は偏頭痛が持病で、肩凝りが頭痛に遷移することもあるため身に着ける物はとにかく軽い物を選ぶ傾向にある。
そんなことを知っていたので、僕が選んだG-SHOCKも特別感のあるメタルモデルながらベルトがラバーで計量なものにしたのだった。
実家に帰って父と話した際、「LINEではSEIKOとLONGINESとG-SHOCK2本って言ってたけど、SEIKO 5も持ってなかった?」と聞いてみた。
父も存在を忘れていたようだけど、机の引き出しに眠っていたようで「これもあったわ」とSEIKO 5を持ってきてくれた。
僕がLINEで父に送ったキッタナイ絵はどうやらSEIKO 5とTAG Heuerの記憶がゴッチャになっていたようで、ギザギザしたベゼルは父のSEIKO 5の特徴だった。
父は紛失してしまったTAG Heuerに名残惜しい気持ちが相当あったのだろう。
ホイヤーの代わりに買ったSEIKO 5もゴールドのダイバーズだったのだ。
それ故に、僕の記憶の中で二つの時計の特徴が混じり合って記憶されてしまったのだと思う。
母の時計
母親は時計に対して興味がないのか着けているのを殆ど見たことがない。
先に言及した過去のエントリでも書いたとおり、父が入手したLONGINESはペアウォッチなのでその片割れは母の元にあるのだが、何処に仕舞ってあるのか本人も知らないのではないか。そう思うくらいには着用している姿を見ない。
遠洋漁業の船乗りをしていた祖父が祖母と母に寄港先でΩの時計をかったことがあるらしく、15mm程度の大きさのモデルを母が、8mm程度の小サイズモデルを祖母が所持している。
祖母がこの時計を着けているのは見たことがあるが、母が、この時計を着けているのは余り見ない。
(母としては祖母のモデルの方が良いな、と思っていたと言うのもあるだろうが)
僕の時計趣味のルーツ
先日、父とのLINEのやり取りをちゃん嫁に見せたところ「貴方が時計好きなのはお義父さんの影響かもね」と言われた。
「いや〜。身に着ける物だから大事にしてはいるけど、父ちゃんことさら時計に詳しいわけじゃないしな〜」と返したら「そっか。まぁ男の人って時計とかメカ好きな人多いもんね」と言っていた。
僕は時計は自分で興味を持った趣味だと思っていたが、このエントリを書いていて、もしかすると幼少期に父が時計に対して強い拘りを持っていたことが僕の時計趣味の起点になっているかも知れないと思い始めた。
SWもBTTFも父親が好きだったものだし、趣味の面でも実は父親から受けた影響というのは案外大きいのかも知れない。