久しぶりの更新。
数ヶ月前に 『富野由悠季論』(藤津 亮太著)を読んだ際に冒頭だけ書いて下書きに残っていたので続きを書いていこうと思う。
本書は富野由悠季という不世出のアニメーション監督のフィルモグラフィを辿ることが、彼の人生を辿ることに繋がっていて、非常に読み応えがあった。
特に、庵野秀明監督が折に触れて「ロボットアニメの第一話として完璧」と言及している『機動戦士ガンダム』第一話の解説は出色の出来だった。
同作において、視聴者を作品世界へ強力に誘う役割を果たしているのが、永井一郎さんによる冒頭の名ナレーションだ。
「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀が過ぎていた。
地球の周りの巨大な人工都市は人類の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。
宇宙世紀0079(ダブルオー・セブンティナイン)、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。
この一ヶ月あまりの戦いでジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。人々はみずからの行為に恐怖した。
戦争は膠着状態に入り、八ヶ月あまりが過ぎた---」
1979年当初は、「増え続ける人口」、「増えすぎた人口を宇宙に移民させる」というストーリーにはリアリティがあったのだろう。
しかし現在、中国やインド、そしてアフリカの都市部でも少子化が顕著に進行中であることを鑑みれば、今日「人類が増えすぎた人口を……」というナレーションから始まるアニメーションを世に放ったとき、視聴者たる我々がリアリティをもって受け入れることが出来るかと言えば、答えは否だろう。
1975年。世界人口は40億人だった。
そこから僅か半世紀で倍の80億の人口を数えるに至ったことは驚嘆を超えて恐怖の念を禁じえない。
『新世紀エヴァンゲリオン』第拾参話「使徒、侵入」は、TV版エヴァシリーズにおいて、人造人型決戦兵器エヴァンゲリオンが殆ど登場しない異色回ながらも、非常に見応えがあるエピソードとして知られている。
このエピソードに現れた第拾壱の使徒・イロウルは極小サイズの細菌のような存在。
爆発的な速度で進化・増殖を続けるイロウルは、ネルフ本部の各種システムを掌握。
ついにはネルフ本部の要であるMAGIシステムにまで侵入してしまう。
MAGIシステムの開発者・赤木ナオコの娘にして、現MAGIシステムの管理責任者・赤木リツコはこの使徒に対し、進化を促すプログラムを打ち込むことで撃退を図る。
進化の行き着く先は自滅であり、急速に進化を続けるこの使徒を撃退する唯一の方法であると考えたからだ。
しかして彼女の目論見通り、使徒の撃退は果たされたのであった---
この話はリッちゃんの活躍が印象的だし、ロボットアニメでありながらロボットが活躍しないエピソードでここまでの感動を与えることができるのかと、初見時非常に心に残った。
しかし、「進化の行き着く果てが自滅である」という言説には当時疑問を抱いたのも事実だ。
そんなペシミスティックな考えよりも、僕は“Life finds the way.”(「生命は必ず道を見付ける」)というJurassic Parkのマルコム博士の考えの方に共感していた。
カオス理論の学者の割にオプティミステトなんだよね、マルコム博士。
しかし、冒頭で述べたとおり中・印・アフリカでも人口減少が顕著となった今、人口減少は人類にプログラムされたものなのかと絶望にも似た思いに苛まれる。
社会の近代化(という名の西洋化)が進むにつれて女性の社会進出は進み、女性の社会進出が進めば少子化は加速する。
けれど、女性を再び家庭という檻に閉じ込め、子育てと家事を一方的に押しつけていた時代に戻ることが是とされるわけもない。
社会が「成熟」(あくまでカギカッコ付きの表現とする)すればするほど、人口減少という隘路に突き当たる。
こと人間に話題を絞れば、「進化の行き着く先は自滅である」という赤木リツコの考えの方に今日僕の思想は傾いている。
この社会の変化を「進化」「進歩」と捉えることが正しいと断ずるに足る証拠は何も無いわけだが……
