久しぶりのエントリだが、書かずにはいられないので書く。
その訃報に触れて、思わず職場「エッ!!!」と声が漏れた。
鳥山明先生が、去る3/1に68年の人生に幕を閉じた。
ドラゴンボールの偉大なところは、「好きな漫画」を話題にするとき、僕らの多くが「まぁDB好きなのは当たり前だろう」とばかりに、DBという作品名を敢えて挙げずとも話が進行する点だと思う。
知っていて当たり前の前提になっているから、お互いにファンであるか否かの確認をしないままに、共通言語としてドラゴンボール用語を口にする。
「ツンケンしやがって。サイヤ人襲来編のベジータかよ」とか、「お前の人当たりの良さクリリン並みだな」とか。
お腹を押さえてうずくまる友人には決まって「ヤムチャやんけwww」と声をかける。
僕ら世代にとってDBは、『ドラえもん』や『ちびまる子ちゃん』や『クレヨンしんちゃん』以上に共通言語として機能する作品だったように思う。
僕ら世代にとってDBがどんな作品だったのか言及しようと考えて、「白飯みたいな作品」という言葉が浮かんだ。
日本人同士で好きな食べ物を語り合った際、白米を挙げる人間は少数であるように思う。
だって、白米って皆好きじゃん。
当たり前にあって、当たり前に皆が好きで。
と、「僕ら世代僕ら世代」と言ってきたが、正確には僕はDB世代よりもちょっと下の世代。
小学校に上がる頃にZが終わってGTがテレビ放送していた、そんな世代。
水曜日はスイミングに通っていて、バスに乗って帰宅して8チャンネルをつけると『るろうに剣心』と『ドラゴンボールGT』が流れていた。
だから、『Dr.スランプ』で鳥山明先生が鮮烈なデビューを果たした瞬間も知らなければ、同作で大ヒットを飛ばした興奮も醒めやらぬ中で『ドラゴンボール』の連載を開始したその衝撃も知らない。
この事実は、上の世代のドラゴンボールファンに対する嫉妬にも似た劣等感を与えるに十分なわけだ。
ゼミの友人は“ONE PIECE”が大好きなのだけど、その理由の一つとして「『ドラゴンボール』も“SLAM DUNK”も、俺らよりも上の世代のものって感じするじゃん。
“ONE PIECE”は俺たちがリアルタイムで追いかけることのできた、「俺達世代の名作」って感じがするから好きなんだ」と言っていた。
そんな感情を抱かせてしまうくらい漫画界に輝く偉大なる巨星。それが、『ドラゴンボール』という作品なのだ。
タイムラインで多くのファンが先生の死を悼み、作品の思い出を語る。
そんな中で、このツイートが目についた。
両手を空に掲げて「みんな、オラに元気をわけてくれ」という一連の発想が、世の中に与えた「陽」の功績を想うと、立ち眩みがする。どうかどうか、天国で楽しくて面白い作品をたくさん描きながら、ゆっくりしてほしい。。。
— たられば (@tarareba722) 2024年3月8日
これを読んで、僕は嘆息した。
「元気玉って、ものすごい発明だったんだ」と。
「主人公が仲間からの応援をパワーに変えて難敵に勝利する」というプロットは古今東西さまざまな漫画作品で繰り返されてきた展開だろう。
けれど、作品世界の住人たちに、主人公が自ら「元気を分けてくれ!」と嘆願する主人公がそれまでにいただろうか。
ピッコロ大魔王編から悟空の戦いは激しさを増し、四肢の骨を一つ一つ折られて身動きが取れない状態にとどめを刺されるような、絶望感を覚える戦いも増えた。
次から次へと現れる強敵。その強敵との死闘に、「悟空はここからどうやって勝つんだ?!」と、読者の誰もが固唾を飲んでページを捲る。
読者は主人公の視点で物語を消費するから、必然主人公に感情移入して作品を読み進めていく。
けれど、ドラゴンボールを読んでいる自分は、小さい時から悟空になりきっているのではなく、悟空を応援して物語を読み進めていたように思う。
その感覚と、“元気玉”という技は無関係ではないと思う。
強敵との戦いに勝利するため、悟空はみんなの元気を分けてほしいという。
作品世界の住民は、天に手を掲げて悟空へ元気を分け与える。悟空たちの勝利を信じて、希望を託す。
ここに、僕ら読者の思いは作品世界の住民のそれと完全に一致する。
「悟空!がんばれ!」と。
どのバトル漫画作品の主人公も、基本的には作品世界の仲間や読者から応援されて、勝利を手にしていく。
悟空という主人公と元気玉という必殺技の組み合わせの妙は、主人公の持つ「読者からの希望を一身に背負う」という宿命を、必殺技発動の条件に落とし込んだところに革新性があるのではないだろうか。
日本では比較的マイナス評も目立つ『ドラゴンボールGT』。
けれど、僕はこの作品の最終回が好きで、VHSで何度となくこの回を観て育った。
3/8の24時を回った先ほど、GTの最終回を観た。
GT最終回に鳥山先生が関係していないことは知っているけれど、この言葉以上に鳥山先生の急逝を悲しむ僕らに寄り添ってくれる言葉を僕は知らないから、敢えて。
悟空がいたから楽しかった
ドジで 明るくて 優しくて
そんな悟空がみんな大好きだったから
これでドラゴンボールのお話はおしまい
こちらを読んで、休憩中にバーガーキングでワッパーを頬張りながら、人目も憚らず泣いてしまった。
偉大な才能を持ったクリエイターが、また一人この世を去ってしまった。