映文計

映画と文房具と時計、好きなものから1文字ずつもらって「映文計」。映画のことを中心に日々綴っていきます。

日本で“Twitter”が流行った遠因を考える

海外の映画やドラマを観ていて驚くのは、「誕生日に詩をプレゼントした」というようなシーンに多く出くわすこと。

 

日本では詩を送るという習慣はあまり馴染みがない。

それどころか、多少詩的な表現を用いようものなら「ポエマーかよwww」などと一笑に付されるのがオチである。

 

僕が今住んでいる富山県には高岡市という都市がある。

高岡市は万葉集の編纂者の一人として知られる大伴家持(やかもち)が、現在の県知事のような役職として中央から派遣されて来た土地。

「万葉のふるさと」などと称して万葉集ゆかりの地として売り出している。「万葉線」という鉄道も通っている。

 

ちなみに、今まで日本の元号は漢文に由来するのが常だったが、「令和」は過去の歴史で唯一日本由来の元号であり、出展が万葉集にあるというのは有名な話。

「令和」の元となった歌を詠んだのは大伴旅人(たびと)なる歌人であり、この人は大伴家持の父親である。

閑話休題。

 

万葉集を見ても古今和歌集を見ても、いにしえの時代を生きた日本人は、歌に思いを乗せて誰かに伝えるということを当たり前のようにしてきた。

 

万葉の世から千年以上の時を隔てた現代、日本国民が詩的な表現を冷笑交じりにあしらうような民族になろうとは、かつての歌人達には想像も及ぶまい。

 

TwitterことX。

イーロン・マスク氏も言及するほど、日本人のTwitter使用時間は他国のそれを大きく引き離しているらしい。

news.yahoo.co.jp

 

Twitterの何がそんなに日本人の心を掴んだのだろうか。

 

「“1ツイート140字”という投稿可能な文字数に制限のあるプラットフォームが、表意文字である漢字文化圏の日本にマッチしていたから」というのはよく指摘される点であり、僕もそのことに異論はない。

 

しかし、僕は先日、「あ、日本でTwitterが流行った理由ってこれかも」とふと思い浮かんだことがある。

それは“tweet”を「つぶやき」と訳したことが、日本でTwitterが市民権を得た遠因ではないかという仮説だ。

 

tweetの意味を調べてみると以下のような意味が並ぶ。

 

【自動】

  1. 〔鳥が〕さえずる、高い声で鳴く
  2. 〔甲高い声で〕ペチャクチャしゃべる
  3. 〔興奮して〕クスクス笑う
  4. 〔高い震え声で〕話す、歌う
  5. 〔興奮して〕小刻みに震える
  6. 《イ》ツイートする◆通例、Twitter◆【参考】Twitter

【他動】

  1. 〔高い震え声で〕~と言う、〔~を〕話す
  2. 《イ》〔アップデートなどを〕ツイートする◆通例、Twitter◆【参考】Twitter

eow.alc.co.jp

 

見てのとおり、どこにも「つぶやく」という訳はない。

「ツイート」は人間が投稿する短文なので、「小鳥」とセットになっている「さえずる」という訳を当てる選択肢は早期に排されたであろうことは想像に難くない。

 

ここで恐らく「つぶやく」と最後まで選択肢に残ったであろうことが予想される単語として「ささやく」を挙げたい。

 

「ささやく」は「囁く」というその字の作りからして「誰かの耳元に口を近付けて声を発する様」が想起される。

 

いわば「ささやく」が他者の存在を必要とする言葉である一方、「つぶやく」は他者の存在を必ずしも必要とするわけではない、単独で完結する言葉である。

誰かに見られることを必要としない、チラシの裏のラクガキのような下らないことをインターネットの海に放出することもできるし、誰かと議論を深めることも出来る。

ユーザー一人一人が好き勝手にひとりごち、その独り言に対して反応するも良ししないも良し、favするも良し(今やファボという言葉をTLで見掛けることもなくなったが)。

そんな自由さが「つぶやく」からは感じられて、僕はtweetにこの訳を当てた人を凄いなと思うわけである。

 

【参考】

ja.hinative.com