映文計

映画と文房具と時計、好きなものから1文字ずつもらって「映文計」。映画のことを中心に日々綴っていきます。

お題:「何して遊んだ?」小学6年生・冬/ロックマンエグゼ2

今週のお題「何して遊んだ?」

 

先日、今週のお題に答えてみたら案外楽しかったので今後も気が向いたら答えてみようと思った次第。

 

で、今週のお題は「何して遊んだ?」。

 

先日、僕の「遊び」に関する記憶を刺激される出来事があったのでそれを紹介したい。

 

その出来事とはコトブキヤからロックマン(ロックマン エグゼ)のプラモの発売が決まったこと。

www.kotobukiya.co.jp

 

コトブキヤからはロックマンロックマンX、そしてロックマンゼロのゼロなどが今までにプラモシリーズとして展開されていたものの、エグゼシリーズのプラモがリリースされるのは今回が初。

 

大変好きなシリーズであるだけに、この報は滅茶苦茶嬉しかった。

 

僕は「ロックマンエグゼ」は2が特に思い出深い。と言うのもエグゼ2が僕のGBAデビュー作だから。

その年の夏、次世代ワールドホビーフェアポケモンカードGB2を持参し、限定のデッキケースと、ルギアのカードデータをゲット。

その帰りに父親と東京のポケモンセンターに行き、ゲームボーイアドバンスの限定カラー「セレビィグリーン」を予約したのだった。

 

我が家ではゲーム機やソフトを買ってもらえるチャンスは誕生日とクリスマス(サンタさん)くらいに絞られていた。

よってサンタさんからのプレゼントを信じる弟のために数ヶ月寝かせた特別なカラーのGBAと共に、ロックマンエグゼ2は初めてのGBAソフトとして僕の手元に来てくれた。

ロックマンエグゼ2のソフトは限定仕様でも何でもなかったけど、僕にとっては限定カラーのGBA本体と同じくらい特別な存在として記憶に刻まれている。

 

そして小学6年生の冬休みは、弟と一緒にロックマンエグゼ2に大ハマり。

同級生の友人と先を競うようにクリアを目指したのだった。

 

本シリーズはそれまでの横スクロールアクションだった「ロックマン」ブランドとは異なり、左にプレイヤー、右に敵という配置で、敵味方が自陣の9マスの陣地内で戦う戦略型アクションゲーム。

プレイヤーはロックマンを操り、対戦型カードゲームの“デッキ”に相当する30枚1組の「フォルダ」を構築する。その「フォルダ」から、“カード”に相当する「バトルチップ」をランダムにドローし、そのチップでロックマンと共に闘うというゲームシステム。

カードゲームはどんなに強いデッキであろうとも、引きが悪いとあっさり負けてしまうことがある。

対戦型トレーディングカードゲームの始祖たるマジック・ザ・ギャザリングでは、カードをプレイするのに必要なエネルギーを生む「土地」カードが全く引けず呪文を唱えることが出来ない、或いは「土地」しかドローできず呪文が一切唱えられないことを「土地事故」等と呼んだりするが、その例を引くまでもなく、カードゲームが時としてプレイヤーの実力やデッキの良し悪し以上に運の要素が大きく絡むことは広く知られていることだ。

 

アクションゲームである以上、プレイヤーの操作の上手さ下手さが強さに直結するのは勿論だが、そこにカードゲーム的な「ドロー運の良し悪し」というランダム要素が持ち込まれたことで、このゲームの魅力は何倍にも増幅されたと言って良いだろう。

「さっきボロ負けした友達に再戦を挑んだら今度はノーダメージで勝ってしまった」と言うようなことが頻繁に起こるため、僕らは毎日夢中になって対戦に興じた。

 

自分の戦い方に応じてロックマンが姿を変える「スタイルチェンジ」というシステム、自分好みのチップでデッキを組む戦略性が合わさり、同じ姿のロックマン同士の戦いなのに自分が操る対象が「自分だけのロックマン」に見えてくることがたまらなく嬉しく、そして面白かった。

 

今考えるとバカみたいな話だが、寒空の下、何時間も公園でプレイしていたなぁ……

 

小学六年生の冬休みに手に入れたこのゲーム。

僕にとっては中学の厳しい部活動生活のさなかにあってはとてもできない「対人対戦」の楽しさを知ったゲームでもあった。

(今はオンラインで対戦できるけど、当時は「通信ケーブル」を持って対面で会わなければ対戦は出来なかったのだ)

 

本作の他に、そんな中学の部活生活が始まる前だからこそ出来たこととしては「秘密基地作り」もある。

春から進学予定の中学の裏には、舗装された道路の2mほど下から生える竹林があり、そこに簡素な作りの「秘密基地」を拵えて、僕らは幾度となく通信対戦に耽った。

全然奥まった場所に作らなかったものだから、道行く人から僕らの姿は見えてしまっていて、

 

数ヶ月後、コロコロコミックス誌面では厳しい条件をクリアしたプレイヤーにのみ、「サイトスタイル」という隠れたスタイルにロックマンが姿を変えるという情報が載ったからさあ大変。

 

僕らは目の色を変えてその条件をクリアしていった。

「チップを全種類集める」というミッションは友人同士で通信交換を駆使すれば容易くクリアすることが可能だが、「ナビ」と呼ばれる全てのボスに「バスティングレベル」をS(基本的にノーダメージかつごく短時間で討伐する必要あり)で勝利するという条件は、自らゲームをプレイして達成しなければならず、それが一番の障壁だったように記憶している。

 

そんなこんなで僕はサイトスタイル入手の条件を整え、ある日の夜に家で弟とプレイをしていたところ、ロックマンがサイトスタイルに姿を変えた。

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これには声を上げて喜んだ。

僕が仲間内で一番早くサイトスタイルを発言したからだ。

いつも遊ぶグループにはいなかったけど、同学年でゲームが滅茶苦茶上手い友人が僕よりも一日早くサイトスタイルになっていたんだけど、グループ内では僕が一番早かった。

それが嬉しかった。

(コロコロで記事が出てすぐに彼と僕はサイトスタイルになったので、多分うちの小学校でサイトスタイルを発現させたワンツーは僕と彼だったと思う)

 

当時、僕らは携帯電話を持っておらず、「サイトスタイルになったぜ!」と伝えるのは家電しか手段がなかった。

「明日証拠見せてやるよ!」

そう言って電話を切って眠りにつき、翌日友人にGBAの画面を見せた時は誇らしかった。

 

思えばあの時エグゼ2を一緒にプレイしていた友人は、エグゼ2が繋いでくれた友人だったように思う。

中学に入ると、部活が忙しくて友人同士で遊ぶという機会もめっきり減った。

たまに遊ぶ機会があっても、交友関係は部活が軸になり、小学6年生の一時期毎日のように対戦を重ねた友人たちと中学時代に遊んだという記憶があまり無い。

 

人は人生のある時点において強い結びつきがあった他者と、その後も同じ接点を保てるわけではない。

大人になった今はそんなことは当たり前のこととして理解できるが、そのことを肌で感じた初めての体験はこの時かも知れない。

 

「何して遊んだ?」

このお題を見たときに僕が思い出したのはそんなエピソードだ。